北奥三国物語 

公式ホームページ <『九戸戦始末記 北斗英雄伝』改め>

早坂昇龍(ノボル)&蒼龍舎                            



峡谷の怪物 ─盗賊の赤虎が鬼と戦う話─       早坂昇龍

本作は平成24年9月12日より12月31日まで盛岡タイムス紙に掲載された短編小説である。
『今昔物語』など説話文学をモチーフとし、J.カーペンターの『遊星からの物体X』のような怪物の物語が書けぬかと考えたのだが、構想とは違い、大人の男の恋の話になった。
この作品で赤虎のキャラが立ち、「盗賊の赤虎」シリーズが出来た。

 『峡谷の怪物 ─盗賊の赤虎が鬼と戦う話─』

一戸城址
一戸城址

 時は天正も半ばを過ぎた頃の話である。
 既に薄暗くなった山道を、壮年の男と女児の二人が急いでいた。
 男は背丈六尺を超え、極めてがっしりとした体躯をしていた。かたや女児は五六歳見当のまだ幼い子である。
 元々二人は、この日の午後には次の宿場に着いている筈であった。
しかし、道の半ばも行かぬうちに、馬が突然斃れそのまま死んでしまった。このため、日が落ちようとする時刻になっても、まだ手前の峠を越せずにいた。
 仕方なく、男は女児の手を引き、徒歩で山道を歩いていたのである。
「さぞ疲れたであろうな。もはや少しも歩けぬ程くたびれ果てたなら、俺が負ぶってやろう」
 男が口を向けても、しかし女児は首を横に振り、黙って歩き続けている。

 男の名は赤平虎一、通称を「赤虎」と言う、奥州北部を地盤とする盗賊であった。
 赤虎が連れているこの女児は、自身の子ではなく、赤虎が寺泊港に逗留していた時、懇意となった女の連れ子である。
 なぜ他人の子を連れ歩いていたのか。その次第は概ね次の通りである。
 赤虎は出羽から京に向かう船に乗ったのだが、佐渡に差し掛かった頃、ふとした弾みで船から落ちた。船の真下にはたまたま大鰐が居り、赤虎はその鰐の鰭で右大腿を擦られ傷を負った。
 このため、赤虎一人がそこで船を下り、寺泊港に留まることになった。
 赤虎が受けた傷は思いの外深手だったので、赤虎がひとまず歩けるようになるまでには、凡そ三ヶ月を要した。
 赤虎が寺泊に逗留していた時、その身の回りの世話をしていたのは、七海(ななみ)という女である。七海は齢二十五で、その一年前に夫と二人で越後国まで働きに来たのだが、着いて間もなくのこと、夫はふとした病が元で命を落としてしまった。しかし、七海は夫の死後も寺泊に留まり、下働きなどをしながら己の娘を育てていた。
 海で傷を負った赤虎は、佐渡の地頭の計らいで寺泊に身を寄せることになったが、その時この女が主に命じられ、赤虎の世話をするようになったのである。
 その七海も、赤虎が漸く歩けるようになった頃、風邪が元で、僅か数日であっけなく息絶えてしまった。
 赤虎は、臨終間近の七海に、「この子が生まれ育った山奥の村に、己の娘を連れ帰ってください」と乞われた。
 赤虎はそれを了承し、越後を発し出羽山中の村に向かうべく、二人で旅を続けていたのであった。

 この日は寺泊を出てから七日目であった。
 あと僅か一日という所まで来て居り、当初はその日の午後に着く筈であった宿場が、この街道の最後の宿であった。
目的の村は、それから脇道に入り、山を三つ越えた所にある。
 この先は峠道で、子どもの足では無理である。従って、いずれか適当な場所を見つけ夜を過ごす必要がある。
 五歳の子に野宿は酷である。またそれ以前に、山中には狼や山犬が徘徊していた。
 「せめて今宵ひと晩を過ごす人家が、この近くにないものか」
 しかし山道の途中なので、人家は見当たらない。
 適当な山陰に野宿の場所を探そうと思い始めていた頃、道の先に門構えが見えて来た。
 「これは助かった。あの家に行き、納屋の一角でも借りることにしよう」
 赤虎は子の手を引き、その家に向かうことにした。
 前に立って見ると、門の間口は三間近くもある。半ば開いた扉を押し開けると、縦横二十間にも及ぶ広い中庭がある。その奥に見える屋敷は、こんな山里には似つかわしくないような大きな屋敷である。
 
 二人は薄暗がりの中、庭の中に歩み入った。中程まで入ってみると、母屋の前に何やら黒い塊が転がっているのが赤虎の目に入った。
 「あれは人ではないか」
 赤虎は女児をその場に留め、己独りでその塊のような人に近寄った。
 傍まで近付いて見ると、果たしてそれは老爺である。
 「おい。生きているのか、爺さま」
 赤虎が老爺の肩を揺すると、老爺は微かに「うう」と呻き声を上げた。
 老爺は確かに生きていた。
 赤虎は庭の隅にあった井戸で水を汲み、老爺の所まで運ぶ。
 赤虎は老爺を抱き起こすと、懐から手拭を出し、これを水に浸した上で顔をぬぐってやった。
 「しっかりしろ。爺さま」
 ここで老爺がようやく眼を開く。
 「鬼にやられただ」
 「なに。鬼だと」。
 老爺はようやく気を取り直し、事の次第を話し出した。

 事が起こったのはこの日の昼である。
 山向こうから一人の女がこの家を尋ねて来た。しかし、元々顔見知りである筈のその女の様子がおかしい。
 「一体どうしたのか」と質(ただ)すと、女は「体の具合が悪いのだ」と答える。
 そこで、老爺はひとまずこの家の主人に伺いを立てた。主人は、「では、暫しその女を離屋(はなれ)で休ませろ。もし起きられるようなら粥でも食べさせるが良い」と答えた。
 日頃は狭量で吝嗇家の主人であるのに、これは珍しい振舞いである。おそらく、その女は鄙にも稀な美人だったから、この主人には少なからず下心があったのだろう。

高水寺城本丸御殿址
高水寺城本丸御殿址

 未の刻になり、離屋まで下女に食べ物を届けさせたが、その下女が戻ってこない。
そこで、その老爺は自分の妻に離屋を見にやらせた。しかし、やはりこれも戻って来ない。
不審に思い、老爺が離屋を見に行くと、中には妻が一人で座っていた。
 老爺は「おい。山向こうから来た女人はどこへ行った?それと、我が家の下女はどうしたのだ?」と尋ねた。  
 声に応じ振り返った妻を見ると、いつもと変わらぬ妻のようではあるが、しかしどことなく薄気味悪い顔つきである。
 「何か用事があるとかで、二人して出て行きました」
 その声は、腹の底にずしっと響くような、おぞましい声色であった。
 「そんなことがあるものか。一体どこに行ったと申すのか」
 老爺を見上げる婆をもう一度見ると、確かに妻の顔をしているが、自分の知る妻とは同じ人ではないような気がする。
 胸がざわざわしたので、老爺は一旦その離屋を去り、母屋にいた主人とその息子に報告に行った。
 「どうもおかしな按配です。すぐ見に来てくだされ」
 老爺は主人と息子を伴い、刀槍を携えて、離屋に向かう。
 老爺の妻は、やはりその部屋の中央に座っていた。
 最初に主人が婆に声を掛けた。
 「菊乃。ここで何かあったのか?」
 「いえ。何もござりませぬ。二人が外へ出て行ったので、私はここで留守居をしているところです」
 その様子が、やはり日頃の婆ではない。
 婆の全身から何とも言えぬ禍々しさが滲み出ている。
 家の主も同じように感じたらしく、徐に刀を抜き老婆に向けた。
 「お前は何者だ!よもや人ではあるまい。太一郎、この部屋の中を調べよ」
 太一郎はこの家の跡取り息子である。
 その息子が油断無く女に槍を向けながら、離屋の中を調べ始めた。
 すると、部屋の端に立ててあった屏風の陰には、手や足、頭などが散らばっている。 
 これらは行方が分らなかった老爺の妻と下女の肉片であった。
 最初の女は、この家の女二人を食った後で、婆の姿に化けていたのだ。
 主人は大声で老婆を一喝した。
 「お前は鬼であろう!」
 すかさず主人は槍で婆を突き殺そうとしたが、婆は跳び退って難なくそれをかわした。
 「わははは」
 哄笑する女の体がみりみりと大きくなり、その背丈は常人の二倍の高さまで伸びた。
 まさしく女は鬼であった。
 主人とその息子は、その鬼に向かい各々の武器を向ける。
 「こ奴は人を食っては、その者に化ける鬼女だ」
 口が耳元まで裂けた女の顔は、身の毛もよだつほど怖ろしいが、しかし、その胸には乳房らしき隆起があった。
 主人と跡取り息子は、槍を揃えて鬼女の胸に突き出す。
 鬼女は素手で槍を叩き、刃先を交わしつつも、鷲爪で掴み掛かろうとする。十合ばかりそんな争いが続いた後、鬼女は急に飛び上がり、天井を突き破ってどこかに去ったのだった。
 これがこの日の午後に、ここで起こったことであった。

 「斯様な鬼がこの世におるとは・・・」
 老爺が深いため息を吐いた。
 虎一は老爺の手当てをしながら尋ねる。
 「それで、ぬしがここで倒れていたということは・・・」
 先程の話には続きがあった。
 老爺によると、夕方になってからその鬼女が再び現れ、家人全員を殺したのだと言う。二度目に来た時には、鬼はこの家の奥方様の姿に化けていたのだった。老爺が重傷を得たのは、二度目に鬼が暴れた時のことである。
 「まだ近くに居るやも知れませぬ。あ奴は山々を越え行き来していることでしょうから」
 「俺とこの子は、山を三つ越えたその村に行くところだ。この子が生まれた村がそこだと聞いているのだ」
 「おやめなされ。あんな鬼にかかっては、その村はおそらく全滅していることでしょう。あの鬼を倒すには、三十人、五十人の武士で囲まねば」
 この時、屋敷の外で物音が聞こえた。
 周囲を囲む土塀の外で、何かがばさばさと音を立て走り回っている。
 狼や山犬といった四本足の足音ではなく、二本足の立てる音である。
 「やはりまだ近くにいたか」
 赤虎は、手招きをして女児を近くに呼び寄せると、腰の刀を抜き身構える。
 「雪。俺の後ろに隠れているのだぞ」
 「うん」
 赤虎の背後には穀物倉がある。赤虎は倉の庇の下に女児を座らせ、自らは門に向かって刀を構えた。
 土塀の外では、暫らくの間、鬼の走る足音が聞こえていたが、鬼が中に侵入することもなく、何時しか音が途絶えた。
 「何処かへ消えたか」
 小半刻が経ち、赤虎は刀を鞘に収めたが、しかし、依然、油断無く身構えたままでいた。

 この時、突如として頭上で咆哮が轟いた。
 「うがあっ」
 「うっ。屋根か!」
 赤虎が穀物倉を見上げると、牛とも蟷螂(とうろう)ともつかぬ巨大な鬼が、屋根から下を見下ろしていた。
 それは、背の高さが人の三倍にも達そうかという巨大な鬼であった。
 鬼はその大きな体を躍らせ、軽々と地面に下り立った。
 鬼が目前に下りたので、赤虎は二歩退き、腰の刀を抜いた。
 「うぬ。とおりゃ!」
 赤虎は間髪入れず斬り掛かったが、鬼は身を翻し、難なくこれを避ける。
赤虎が正面から見据えると、鬼の頭はまさに牛で、眼窩から半ば飛び出た眼の玉は、大人の掌の大きさもある。鬼の手足は異様に長く、節々が太いため、蟷螂にも似た手足をしていた。
 鬼は赤虎に対峙すると、ゆっくりと口を開いた。
 「けええん」
 先程までとは異なる叫び方である。強いて言えば、これは鉄の棒を叩き合わせたときの音に近かった。
 この声は周囲にうわんうわんと響き、赤虎の耳を突き刺した。
 頭が割れそうな音に、赤虎が一瞬怯むと、鬼はいきなり跳躍し、赤虎の頭上を飛び越えた。
 鬼は穀物倉の前に降り立ち、前にいた女児の襟首を右手で引っ掴む。
 「そうはさせるか」
 赤虎は振り向きざまに、鬼の肩口に斬り付ける。
 鬼は身を反らせ、刀身を避けようとしたが、際どい所で避け切れず、刃先が左の二の腕を捉えた。
 「ぼとり」と音を立て、腕の先が地面に落ちた。
 「ぐわあ」
 鬼はひと声叫ぶと、片手で女児を掴まえたまま、闇の中に走り去った。
 「待て!」
 赤虎は鬼を追い駆けようとしたが、鬼は凄まじいほどの身のこなしで遠くに消えた。
 ここで赤虎が振り返り、老爺の方はと見ると、老爺は蔵の壁際に倒れていた。
 老爺に近寄ると、爺は首が爪で掻き切られ、既に息絶えていた。

 翌朝。ひと晩をこの家で過ごした赤虎が、門を出た直後、遥か道の遠くから数騎が近付いて来るのが見えた。
 「虎兄!」
 最初に声を掛けて来た女は、赤虎が拾い育てて義妹としたお蓮である。
 「兄者!」
 お蓮の隣には、色白で総髪の男がいる。これは赤虎の実弟で名を窮奇郎と言った。
二人に付き従っている他の三人も、日頃からよく知る手下共である。皆、赤虎が率いる盗賊団の仲間であった。
 「蓮。窮奇郎。俺の後を付いて来たのか」 
 「はは。京より寺泊まで戻って来たのだが、兄者は既に出立した後だった。家の者に残した言伝を聞き、直ちに追い駆けたのだ」
 「他の者はどうした?」
 「先に米沢に行かせてある。京より運んだ荷物があったからな。折り返し、明日明日にも迎えの者どもを連れこちらに来るだろう」
 「うむ」
 「兄者。そんなに急いで何処へ行こうとしているのだ?」
 「子ども一人が鬼に攫(さら)われた故、今から取り返しに行くのだ」
 「鬼だと。これはまた奇体なことを言う。この世にそんなものが居るものか」
 「俺はこの目で見たのだ。窮奇郎。この中の様子を見よ」
 一同は再び門の中に入った。
 すると、中庭の隅には、屍の残骸が七つ置かれていた。屍の上に被せてあった筵を取ると、一つとして五体揃った死体は無い。
 その傍らには、鉤爪の付いた大きな腕が落ちていた。腕は命を持っているかのように、びくんびくんと動いた。
 「うっ」
 お蓮がたじろぐ。
 「これは気色悪いぞ」
 「身の丈が二十尺を超える鬼なのだが、始末の悪いことに人に化けられるらしい」
 「人に化けるとな?」
 「爺が一人生き残っていたが、その者の申した話だ」
 「この有り様では、攫われたというその子も、もはや今は生きては居るまい。捨て置いて米沢に帰ろう」
 窮奇郎のその言葉により、赤虎が気色ばむ。
 「そうは行かぬ。これから俺はその子を助けに行くのだ。まだ間に合うかも知れぬ」
 きっぱりと断言する赤虎の言い方が、弟の窮奇郎には意外である。
 「兄者。己の子でも無かろうに、命を懸けて取り戻す程の値(あたい)はあるのか」
 「俺は屹度その子を故郷に連れて行くと、母親に約束したのだ」
 赤虎はひと言そう答えると、数多の屍の上に筵を掛けた。

 赤虎の頭の中では、甲斐甲斐しく己の世話をしてくれた七海の記憶が蘇っている。
 「こらこら。まだ起きては駄目だぞ」
 床から起き上がろうとする赤虎を、七海はそう言って嗜めた。
 まことに屈託の無い笑顔である。
 その頃、二十歳も齢が違う大男のことを、七海はごく当たり前のように叱り飛ばしたのだった。
 赤虎はその度に「分った、分った」と答え、再び床に就く。己がまだ起きられぬ体であることを、赤虎も十分に承知していたからである。

 浜に面した家で、赤虎は三ヶ月の間、朝な夕な、ただ海を見て過ごした。
 何も無い穏やかな暮らしである。
 波打ち際で遊ぶ母娘をぼんやり眺めながら、赤虎は「こんな静かな地で余生を送るのも悪くない」と考え始めていた。
 赤虎は奥州に悪名を轟かせる悪党ではあったが、もはや齢が四十台の半ばに達している。
 しかし、それから僅か十日後に、七海はあっけなく死んだのだった。

 物思いに沈む赤虎の様子を、傍らの窮奇郎が眺めていた。
 「女だな、兄者。攫われた子とは、惚れた女の生した子か」
 無骨者で通る赤虎に、浮いた話は珍しい。
 仲間は揃って赤虎の表情を見た。
 しかし、その時には、赤虎はいつもの無表情な男に戻っていた。
 「これから先は命懸けだ。此度は俺に従わずとも構わぬぞ」
 「はは。何を申すか。兄者の行く所なら、我らは何処までも付いて行くぞ」
 「虎兄。蓮も勿論加勢するぞ」
 「わしらも行きます。元々、お頭に拾って貰った命です。相手が役人だろうと鬼だろうと、お頭と共に戦います」
 その場にいた三人の手下が、一斉に声を揃える。
 「よし。では直ちに、この先の谷に赴くぞ。恐らく鬼はそこを根城として居る」
 「はい」 
 皆は馬に向かおうとしたが、これを窮奇郎が呼び止めた。
 「この鬼の腕も持って行こうぞ。切り離されて居るというのに、どうやらこの腕はまだ生きているようだ。もし生きて居るなら、この腕の主が取り返しに来るかも知れん。相手の方から来てくれるのなら、探す手間が省ける」
 「うむ。ではその腕の先を筵に包み、馬に括り付けよ」
 赤虎が顎をしゃくると、手下の一人がこの家の小屋に走った。

 この時、唐突に表門の方角から声が聞こえて来た。
 「ああっ、盗人だ・・・」
 皆が振り返ると、出入りの物売りらしき男が立ちすくんでいた。
 「ひゃあっ!」
 物売りにしてみれば、その時門の内にいたのは、如何にも風体の怪しい一団である。
 物売りが赤虎たちを押し込み強盗と見なしたのも、無理は無い。ましてや、元々、赤虎を含めたその場の全員は、紛れも無く盗賊団の一味である。
驚いた物売りは、大慌てで、今来た道を走り去った。
 「兄者。捕り手が来て面倒な事態になる前に、早くここを発つとしよう。やっても居らぬ人殺しの下死人(げしにん)にされては溜まらない」
 「おおさ。今すぐ発とう。その村までは凡そ四十里だ」
 一行は一斉に馬に跨り、家を後にした。

 六人は、ちょうど未の刻に、七海母娘が生まれ育ったという峡谷の村に着いた。
 谷の底は川で、その両隣に僅かな平地がある。縦に二里、横に一里の土地に、二十数軒の家が点在していた。
 一行はゆっくりと村の中に進んだ。
 「けして気を許すなよ。あ奴の動きの速さは、尋常では無いからな」
 数軒の前を通り過ぎたが、その中に人影は見あたらない。
 しかし、五軒目の家の前に達すると、奥の物置で微かな音がした。
 「何か居るぞ。窮奇郎」
 「うむ」
 六人は下馬し、馬を木に繋ぐ。
 各人が各々の武器を油断無く構え、その小屋に近付いた。
 小屋の手前で、まず手下四人が散開し弓に矢を番える。
 体勢が整った所で、赤虎が勢い良く戸を引き開けた。中に半身を入れ、赤虎は刀を両手で持ち直し、様子を覗った。
 「ひいっ」
 小屋の奥の薄暗がりには、三人の年寄りがうずくまっていた。
 赤虎が中に入ると、爺婆は角に逃げ、ひとつ所に固まる。
 「おい!お前らは人か。それとも鬼か」
 「ひゃあっ」
 年寄りたちは、ただ縮こまるばかりである。
 「直ちに答えねば斬り捨てるぞっ」
 赤虎の恫喝に、年寄り一人が慌てて答える。
 「人にござります。わしらは人にござりますぞ」
 年寄りが慌てふためく様子を確かめると、赤虎はゆっくりと刀を下ろした。無論、何か不測の事態が生じても、すぐさま応戦出来る構えではいる。
 「何故こんな小屋に集まっているのだ」
 「鬼に集められたのでござります。ここは言わば生簀で、鬼が餌を取り置く所になっているのです」 
 「他の者はどうした?」
 「もはや大方食われました。鬼は元気の良い大人から順に食いますので、残ったのは年寄りばかりにござります」
 この時、赤虎の背後には、仲間五人が集まっている。
 ここで窮奇郎が口を入れる。
 「年寄りはあまり美味くないのだろう。新鮮で美味い魚があるのなら、干し魚は食わんからな。手元に何も無い時だけやってきて齧るという訳だ」
 「他に生き残って居る者はいるか?」
 赤虎の問いに、年寄りたちが肩を落とした。
 「百間先に土蔵がござりますが、そこから時折幼子の声が流れて来ます。よもや子らが何人か生きて居るやも知れませぬ」
 「ところで、お前たちは何故逃げ出さぬのだ?この小屋の戸は簡単に開くではないか」
 「あの鬼たちは一日に幾百里も走ることが出来ます。年寄りの脚では、たとえ逃げた所で、この谷を出る事も叶いますまい」
 「あの鬼たちだと。鬼は一匹では無いのか」
 「三匹居ります。ひと際大きな奴の他に二匹います。二匹はいつも崖の上で何やら立ち働いているようです」
 「三匹も居るのか。しかも人の姿に化ける鬼では、かなりやっかいだ。虎兄。早いとこ餓鬼を探して、こんな所はさっさとずらかろう」
 「子ども用の生簀が別にあると申すなら、そちらへ行ってみよう。よし。年寄り共は、その隙に谷を逃れるのだ。もし鬼に見つかるとすれば、間違いなく俺たちが先だろうからな」
 しかし、年寄りたちは、この時揃って溜め息を吐いた。
 「あの鬼は人の力では倒せませぬ。何せ人の頭を齧ると、たちまち齧ったその相手に化けられるのです。鬼たちが現れたのは十日前でござりますが、最初にこの村の長を齧ると、その者と寸分違わぬ姿に化けました」
 「それは始末に悪い。誰が鬼かを見極めるのに困る」
 「ただ化けるだけではござりませぬぞ。脳味噌を食うことで、その者の知恵を手に入れる事が出来るのです。鬼の化けた村長の話し振りは、生前の当人と殆ど変わらぬ程でした」
 「ううむ」
 敵とするには、まことに難しい相手である。しかし、赤虎の目的は鬼を倒すことではなく、女児を救い出す所にある。
 「ま、ひとまずはその土蔵に行って見よう。話はそれからだ。そこに子らが居るのなら、救い出してすぐにここを逃れよう」
 「うむ。それが良かろうぞ」
 窮奇郎が赤虎に同意し、六人で上の家の土蔵に向かうことにした。
 百間先には四棟の家があり、その内の一つが土蔵である。五人が油断無く周囲を見張り、やはり赤虎が扉を引き開ける。
 ぎぎぎと音を立て蔵の扉が開いた。
 土蔵の中には、農具が幾つか置かれているだけで、人の気配は無い。
 赤虎は振り返り、仲間に告げる。
 「ここには人は居らぬ。やはりどうしても鬼と向き合わねばならぬようだな。日中は崖の上に居るようだから、そこへ行こう」
 「はい。お頭」
 「奴は手強いし動きが速いぞ。近寄られる前に、問答無用で矢を射掛けよ」 
 「兄者。相手は人の姿をしていると申すのに、それが鬼か人かを如何にして見分けるのだ?」
 窮奇郎の問いに、赤虎は腕を組んだ。
赤虎は少しの間首を捻っていたが、程無く顔を上げる。
 「そうだな。よし。敵が人に化ける鬼なら、こっちも鬼に化けることにしよう。昨夜俺が切り落した腕を使って様子を見るのだ。ほれ」
 赤虎は筵包みを解き、鬼の腕を左手の袖に入れ、手の先だけが見えるようにした。
 「成る程。虎兄、相手が虎兄を怖れるのであればそれは人で、手を見ても何とも思わぬようなら鬼という事だな」
 「お蓮の申す通りだ。そこに上がり道があるから、俺はこの崖の上に登る。お前たちは崖の縁に姿を隠して居るのだぞ。相手が鬼と判ったら、間髪入れず皆で射掛けるのだ」
 「はい」「はい」
 「畏まりました」
 谷底の集落から崖の上までは、高さ一丁半に及ぶ急な斜面を登っていかねばならない。六人は崖の上に続く細い坂道を見つけ、一刻掛かって崖を登った。
 最初に赤虎が崖の上に出ると、そこには当初想像するよりはるかに広い平地があった。

沼宮内城の大手門に向かう渡橋
沼宮内城の大手門に向かう渡橋

 その平地は奥行き三十間で、さらにその奥は再び斜面である。
 平地の奥の奥には、何やら作り掛けの物体が置かれている。まだ作り掛けではあるが、その物体は扁平にひしゃげた卵のような形をしている。卵形の大きさは横が五間、高さが三間程である。
 赤虎が改めて周囲を見回すと、その物体の手前十間右方向には、杉の木が一本立っていた。
 木の根元には、子どもが一人倒れ伏しているのが見える。
 「雪」
 紛れも無く、赤虎が寺泊から連れて来た子である。
 赤虎はその子の方に五歩十歩と歩み寄ろうとした。
 この時、卵の後ろから一人の男が現れた。男は普請に没頭していたらしく、赤虎の袖から出ている鬼の左手を一瞥すると、赤虎にはまるで興味を持たぬように背を向けた。
 赤虎は男に気取られぬように、ゆっくりと木の方に進んで行く。
 あと僅か五歩で女児の所に到達しようとした時、急に風向きが変わり、風が赤虎から卵形の方にびゅうと吹いた。
 卵形のすぐ前にしゃがんでいた男が、その匂いで赤虎が人であることを悟り、急に立ち上がった。
 すぐに赤虎の背後から鋭い声が飛んだ。
 「虎兄!早く身を屈めよ。腰を低くするのだ」
 お蓮の叫び声に、赤虎が腰を屈める。
 殆ど同時に、五本の矢が飛び、卵の前にいた男に次々突き刺さった。
 「ぐわあ!」
 男はぶるぶると全身を震わせ、変化(へんげ)を開始した。
 「こ奴は鬼の姿に戻るぞ。皆矢を放て」
 慌てた五人が、さらに矢を放った。矢は次々男の体に突き刺さるが、男はその都度ほんの少し怯むばかりである。
 瞬く間に男の背丈は二倍近くに伸び、頭が牛、体が蟷螂のような怪物に変じようとしていた。
 「俺に任せろ!」
 赤虎はそう叫ぶと、抜刀して鬼に走り寄る。
 「とうりゃあ!」
 赤虎は掛け声よろしく高く跳躍し、鬼の頭を一刃で切り落した。
 さらに赤虎は、地面にごろごろと転がる鬼の頭を足先で止め、その頭に刀を振り下ろし、真っ二つに分断した。
 鬼の死を確信すると、赤虎は急ぎ女児に駆け寄る。
 「雪。大丈夫か」
 赤虎の声に、女児は薄眼を開けた。雪は母親の七海によく似た、黒く大きな瞳をしていた。
 「小父ちゃん・・・」
 赤虎は女児を左手で抱き抱え、立ち上がった。
 「さて、行くぞ。奴の仲間が戻って来たら面倒だ。ここは早速逃げることにしよう」
 「はい」「はい」
 一行は揃って、先ほど登って来た道を下りるべく崖に戻る。
 この時、妹のお蓮一人だけは皆に背中を向け、鬼の屍をしげしげと眺めていた。
 「何とも言えず恐ろしい面(つら)だ。頭は牛にも似ているが、このごつごつとした長い手足が何とも気色悪いぞ。しかもつい先程は、どこから見ても普通の男だったではないか」
 一人居残るお蓮を、まさに崖を下りようとする窮奇郎が促した。
 「蓮。早く来い。他にまだ二匹居るのだぞ」
 お蓮は我に帰り、兄たちの許に走った。

 赤虎一行は峡谷の村を戻り、馬を繋いだ場所に着いた。ここから峡谷を完全に抜け出るまでは細道が延々と続く。
 各々が己の馬に乗ろうとした時、三十間後ろの家々の間から、一人の女が不意に現れた。
女は足を止め、一行をじっと睨みつける。
 女の形相は凄まじく、顔の色が憤怒で赤紫色に変わっていた。
 女の左の袖には腕が入って居らず、ばたばたとはためいていた。
 「いかん。あれは昨日の鬼だ。見つかったぞ。皆馬に乗れ!」
 次々と馬に跨り、鞭を入れる。
 急ぎ峡谷を抜け出そうとするが、細い道なので、どうしても隊列は縦長となる。
 鬼は恐るべき脚力を有して居り、後ろから後尾に取り付いては、一頭ずつを引き倒す。
 仲間一人が鬼に捕まると、ほんの少しの間、鬼の姿は見えなくなる。しかし、すぐに隊列に追い付き、新たに一人を鷲掴みにした。
 気付いて見れば、赤虎と女児の馬の後ろは、お蓮、窮奇郎の二人だけである。
 漸く谷の出口に至ったのは、三人目が捕まってから、二丁を超え駆けた頃のことである。そろそろ再び鬼が追いすがる筈であった。

 三騎は漸く峡谷を抜け、開けた平野に出た。すると間もなく、道の先に武士の一団が待ち構えているのが見えて来た。
 赤虎はその武士たちの二十間手前で馬を止めた。すると、三人を待ち構えていたかのように前に進み出る武士がいる。
 「待っていたぞ。盗賊ども。ここは既に周囲を取り囲んである。神妙にお縄を頂戴しろ!」
 武士の声を合図に、左右の草叢から数十人の弓手が姿を現した。
 赤虎の左横には窮奇郎が馬を付けていたが、この状況を見て、いかにも渋い表情で呟いた。
 「よくぞまあ、都合の悪い事に都合の悪い事が重なるものだな。前を見れば役人で、後ろは鬼とは、まったくもって呆れ果てる」
 三人が背後を向くと、もはや鬼女はすぐ真後ろまで到達していた。
 ここで赤虎の頭の中で、ある考えが閃いた。
 「そう嘆いたものでも無いぞ、窮奇郎。鬼の腕を俺に寄こせ」
 窮奇郎は一瞬訝しげな表情をしたが、馬の鞍に結わえてあった包みを、すぐに赤虎に手渡した。
 赤虎はその包みを解くと、背後の鬼女がよく見えるように右手で高く掲げた。
 「おい女。お前の腕はこれだ。欲しければ返してやろう。ほら取りに来い!」
 赤虎は大きく振り被り、鬼の腕を役人共の上に投じる。
 「ヤーッ」
 宙を飛ぶ腕を見るや否や、鬼女は大きく跳躍し、赤虎たちの頭上を飛び越した。
その時、鬼が跳んだ距離は、軽く二十間を超えていた。
 鬼は跳ぶ寸前まで人間の女の姿をしていたのであるが、空中で三倍にも体長を伸ばし、その本性を露にした。
 「ぐわあ!」
 恐ろしい化け物に変じた鬼は、空中で己の腕を掴むと、捕り手三十人の中に降り立った。
 「何だ。こ奴は」
 「化け物じゃあ」
 捕り手の武士たちは大慌てに慌てた。
鬼は敵に逃げ出す隙を与えず、己の近くにいた三人を捻り潰した。
 「ううぬ。弓手はすぐに射掛けよ。砲手は弾の続く限り、こ奴を撃つのだ!」
 三十人が鬼を取り囲む。

 「虎兄。この隙に逃げ出そうぞ」
 お蓮の誘いに、赤平兄弟が応じる。
 「よし。勢子の居らぬ東側に迂回しよう」
 鬼が暴れ、捕り手が応戦している間に、自分たちは逃れ出ようという算段である。
 三人はその場を脱し東に向かった。
野原の先には道別れがあり、そこをさらに東に曲がると、陸奥の国に向かう道となる。
 七八丁ほど馬を駆り、分岐路に差し掛かると、しかしそこにも武具を構えた捕り手が待っていた。 
 「ははは。待っていたぞ。逃げようと思ってもそうは行かぬ」
 捕り手の役人は、盗人が大人数であることを想定し、ここに二番備えを置いていた。
 「木っ端役人ども。お前らはあっちで何が起こっているか知らぬのか」
 お蓮が呆れたような口ぶりで言うと、捕り手の一人が答える。
 「知らぬ!我らの務めは落ち延びようとする盗人を捕らえることじゃでな」
 これを聞き、馬上の盗賊三人は、揃って溜め息を吐いた。
 「まったく。この世に愚か者の種は尽きぬ。第一この近くの里の者を殺したのは、俺たちではないのだぞ」
 「嘘を吐け。よおし。降参せぬなら、屍を持ち帰るだけだ。者ども。こ奴らに矢を放つのだ!」
 既に矢を番えていた弓手たちが、この合図を受け、一斉に矢を放った。弓手の数は十五人であったから、兄妹三人をそれぞれ五本の矢が襲った。
 赤平兄妹は、奥州でも名の通った手練(てだれ)揃いである。次兄の窮奇郎も、義妹のお蓮も難なく矢を撥ね退けた。
 長兄の赤虎は、兄妹の中で最も腕の立つ男であるが、しかしこの時には、鞍の前に女児を乗せていた。
 己だけに飛来する矢は避けられても、二人を同時に襲う矢は払い切れない。
 一射目は何とかかわした。しかし、続けざまに放たれた二射目のうち一本が、女児の首元を貫き、赤虎の肩に突き刺さる。
 「雪!」
 赤虎は馬を飛び降り、地面に女児を横たえると、すかさずその子から身を離し、捕り手の方を向き直る。
 「蓮。この子を見てやってくれ。俺はこの阿呆どもをぶち殺す」
 赤虎は大太刀を引き抜くと、捕り手に走り寄り、たちまち三人を斬り捨てた。
 「奥州岩泉に巣くう毘沙門党の噂を、お前たちも一度は聞いた事があろう。その頭領がこの赤虎だ。この名を胸に刻み、地獄へ墜ちよ」
 赤虎は凄まじい勢いで、新たに捕り手数人を叩き斬った。
 「ひゃあ!」
 捕り手は赤虎の勢いに恐れをなし、背中を向け走り出した。
蜘蛛の子を散らすように走る捕り手たちは時折後ろの赤虎の方を振り返る。
 しかし赤虎は、その男たちが己の方ではなく、己の後ろを見て逃げていることに気が付いた。
 赤虎が立ち止まると、背後から己を呼ぶ声がした。
 「虎兄・・・」
 お蓮が上ずった声で赤虎を呼ぶ。
 赤虎が振り返った時、呆然と佇む義妹の前に、人の背丈ほどの大きさの鬼が立っていた。
 「虎兄。三匹目の鬼はこの子だ・・・」
 ここで赤虎が、お蓮の許に走り戻り、お蓮を横に突き飛ばした。女子(おなご)の敵う相手ではないからである。
 赤虎は鬼に正面から向き直ったが、鬼はその場にじっと佇むだけで、襲っては来なかった。
 首元に刺さった矢傷が意外にも重傷で、鬼はそのまま動けずにいるのであった。
 「汝(うぬ)は雪を殺したのだな」
 赤虎は鬼を見据えたまま、油断無くにじり寄る。
 「汝(うぬ)も死して地獄に帰れ!」
 赤虎は大太刀を大上段に振りかざし、袈裟懸けに鬼をぶった斬ろうとした。
 赤虎の様子を見ていた鬼は、刀が振り下ろされる寸前でしゅるしゅると姿を変える。
 一瞬の後、赤虎の前に立っていたのは、七海の子の雪であった。
 「虎一小父ちゃん。許して。けして望んでこうなった訳ではないの・・・」
 見紛う事無く、それは雪そのものである。
 赤虎は振り下ろそうとしていた刀を止め、暫し躊躇した。
 女児の姿を借りた鬼は、赤虎が己を斬らぬと見取ると、次の瞬間、恐ろしい勢いでその場を走り去った。

 最後の鬼が逃げ去ったことで、赤虎は刀を鞘に納めた。ここに窮奇郎が捕り手の隊長の首根っこを掴み、引き摺るようにして近寄って来た。
 「兄者。どうしたのだ。兄者らしくもないぞ。あれは早々に餓鬼を食って、餓鬼に化けた鬼ではないか。何故ぶった斬ってしまわぬのだ」
 赤虎は返事をせず、ただ眉をひそめるだけである。
 次に窮奇郎は、己が捕まえている役人のことを顎で示した。
 「ここの役人は総て倒した。残るはこ奴ただ一人だ。こ奴の方はどうするのだ」
 窮奇郎が隊長の頭を小突く。隊長は己の命が風前の灯であることを悟り、早口で言い訳を始めた。
 「斯様な鬼の仕業とは思いも寄らず、大変ご無礼を致しました。この通り、お詫び致しますので、どうかお許し下さい」
 隊長は地面に頭を擦り、盛んに命乞いをする。
 「ぬしはこちらの話を一切聞かず、いきなり射掛けて来たのだ。よって、ぬしが見込んだ通り、我らは極悪人として振る舞おう。窮奇郎。こ奴を始末しろ」
 「承知した。それでこそ兄者だ」
 窮奇郎は隊長の背中を押し、距離を取った後で、己の武器である大鎌を一閃させた。

 「さあ。我らはもう行こう」 
 三人は各々の馬に跨った。
 その場を出発した後、暫らくの間、遠くで大鬼と捕り手の侍が戦闘を続ける音が響いていた。
 しかしそれも、道を二里進むと聞こえなくなった。
 前を進む赤虎の後方に少し遅れ、窮奇郎とお蓮が二頭馬を並べる。
 今の赤虎には近寄り難い雰囲気があったのである。
 ここでお蓮は、隣を進む窮奇郎に何気なく声を掛けた。
 「虎兄は余程あの子のことを助けたかったのだな。あの消沈振りと来たらどうだ。まるで嗚咽を漏らしているようにも見える。虎兄のこんな姿を見るのは、わたしは初めてだ」
 「蓮。兄者のことは暫らくそっとして置け。立ち入らず関わらずが一番だ」
 「そうだな。そうしよう」
 この頃には、もはや日は落ち、月の見えぬ暗い夜空が広がっていた。
 その空に、急に銀色の光が現れた。
 窮奇郎とお蓮の二人が見上げると、真上を飛んでいたのは、崖の上で見た大卵である。
 「あれは崖の上で見た物ではないか」
 「そうだ。何を作っているのかと思うたが、あれは空を飛ぶための輿(こし)だったのだな」
 「虎兄にも教えよう。虎兄、虎兄!」
 お蓮が呼ぶその声は、しかし赤虎の耳には届かなかった。

 前を行く赤虎は、半月前のある一日を想い出していた。砂浜に縁台を置き、七海、雪の母子と三人で海を眺めた日のことである。
 赤虎は雪を膝の上に座らせ、波が寄せては返す様子をじっと見ていた。
 隣では七海が黙って寄り添っている。
 二十も齢の違う女子ではあるが、どういう訳か七海とは気が合った。それはけして無骨な壮年男の思い込みではなかった筈である。
 七海はこの日、急に立ち上がると、赤虎の目の前に立ったのだ。
 「虎一さま。虎一さまはもう年寄りだけど、わたしはこのままずっと、虎一さまのお世話をして上げても良いぞ」
 七海はそう言って快活に笑った。
 四十男の赤虎も少なからず心が躍る。
 「はは。もしぬしのような若い妻が貰えるなら、俺は果報者だろう。しかし、雪は俺のことを父と認めてくれるかどうか」
 七海はすぐさま娘の雪に確かめる。
 「雪。虎一の小父ちゃんと、これから一緒にずっと暮らしても良い?」
 母親の問いに、雪はこっくりと頷き返した。

 それは僅か半月前のことであった。
 しかし、今の赤虎には、はるか昔のことのように思える。
 たった半月で、赤虎は七海を病気で失い、その上、何があっても守らねばならぬ七海の忘れ形見を、鬼に食い殺されてしまったのだ。
 「小父ちゃん・・・」
 この時、赤虎の耳には、雪の切なげな声が幾度も繰り返し聞こえていた。

 赤虎は馬を止め、二人の弟妹の方を振り返った。
 「窮奇郎。蓮。俺たちは盗賊だ。何時かは分からぬが、いずれは捕まって首を切られるか、道端で斃されるのが、俺たちの運命(さだめ)なのだ。二人もよく心して置くのだぞ」
 「分った」「承知した」
 赤虎は二人の返事を聞くと、すぐに前を向き直った。
 盗賊の両眼は、晩秋の夜風に当たったせいか、少し赤くなっている。(了)

☆注記☆
○蟷螂(とうろう):かまきり
○下死人(げしにん):後の世の「下手人」にあたり、殺人犯のことを指す。
○里:この時代の奥州に於いて、一里は概ね七百メートル程度である。
(本作は「日刊早坂ノボル新聞」に掲載した「夢の話」を改作したものである。)
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