北奥三国物語 

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早坂昇龍(ノボル)&蒼龍舎                            



 『獄門峠 』

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『獄門峠』について(ご案内)

 『獄門峠』は平成二十年代に草稿を書いてあった作品です。手短に言えば「ボツ原稿」です。
 ただし、「盗賊の赤虎」については、最後まで面倒を見ようと思いますので、ウェブで公開することにしました。既に晩年で、書籍、電子書籍にまとめる体力がありませんので、過去作をほぼそのまま投稿することにしました。
 読み直して修正を加える予定ではいますが、眼疾により文字が良く見えません。加筆により、新しい誤表記をする場合がありますので、ご容赦ください。

獄門峠 冒頭のあらすじ

獄門峠                  早坂昇龍(はやさかのぼる)
◆ 冒頭のあらすじ◆
 時は天正時代(戦国末期)のこと。
 盗賊の赤虎が鹿角を訪れる。赤虎はそこで侍たちに囲まれるが、その侍たちが捕縛しようとしていたのは赤虎とは別人であった。その頃、鹿角では盗賊団による人攫い事件が多発しており、赤虎はその一味と間違われたのだ。
 この捕り物を指揮していたのは、鹿倉館主の大湯四郎左衛門である。
 四郎左衛門によると、その人攫い一味は、「猿(ましら)の三次」が率いている盗賊団である。
 三次はその異名の通り、猿の大群を自在に操る男であった。
 三次が従える猿は一千頭にも及ぶ。
 その猿の中には、身の丈八尺を超える大猿がいた。
 赤虎は四郎左衛門に加勢を求められるが、当初は「俺には関わりが無い話だ」と断る。
 しかし、赤虎が好むと好まざるに関わらず、次第にこの事件に引きずり込まれていく。

 猿の三次は野猿峠を本拠としていた。
 赤虎が峠を通り掛かると、峠の入り口に櫓が組まれていた。
 その櫓の上には人の生首が並べられていた。
 これは「これより先に立ち入れば地獄を見るぞ」という標(しるべ)で、地獄の門を模したものだった。 
 さて、この時より五年前に、赤虎は奴隷として船に乗せられた事があった。
この時、赤虎はその島に棲む鬼女・利江と夫婦になり、その鬼女を孕(はら)ませた。
赤虎が島を離れてから年月が経つが、実は利江は赤虎の近くに来ていた。利江は「里」と名前を替え、飯屋の下働きとして働いていた。利江は我が子に、実の父親をひと目だけ見せるため、奥州鹿角郡を訪れていたのだった。
しかし、赤虎が自分の息子の存在を知る前に、息子(名は厳徹)は三次一味に攫われてしまった。
 そこで赤虎は、息子・厳徹を取り返すべく、大湯四郎左衛門の猿退治に加わり、利江や仲間と共に、「獄門峠」に乗り込んでいくのであった。

◆時代背景と登場人物◆
●時代
 天正の半ば頃(一五八〇年代の初め頃)。
●野猿峠
 鹿角大湯の東の「どこか」にあったという設定で、架空の場所である。
●盗賊の赤虎(赤平虎一)
盗賊団の毘沙門党を率いる首領。
 戦乱の世において、赤虎は両親を侍に殺された。
 弟たちを抱え、生きて行く為に、赤虎は子供の頃から盗みを働き、長じては同じような境遇にある浮浪児を集めて盗賊団を束ねるようになった。
 赤虎が襲うのは専ら暴利を貪る商人や、民に圧政を布く侍たちで、奪い取った財物や食料を貧しい民に分かち与えたりもする。
●利江
 赤虎の乗る船が難破し、流れ着いた島は、人を食う鬼女たちが棲む島であった。利江は赤虎と夫婦になるが、赤虎を食う事をせず、島の外に逃がした。赤虎は奥州平泉で、島の鬼女たちの襲撃に遭うが、利江の助けを得て、鬼女たちを撃退した(「島の女─盗賊の赤虎が奥州平泉で鬼女と戦う話─」)。
 利江は息子の厳徹に、密かに父親の姿を見せてやるために奥州を訪れた。しかし、当初は自らの素性を隠していた。息子厳徹が攫われたことで、利江は赤虎に真実を打ち明け、共に三次一味と戦う。
●後日談
猿の三次は赤虎への恨みを忘れず、怖谷の手前で赤虎一行を待ち伏せにする(「無情の雨
―盗賊の赤虎が地獄を訪れる話―」)。
 物事が起きた順番は、「縞の女」→「獄門峠」→「無情の雨」となる。
                 以下、本編に続く。
※章名をクリックすると、新しいページで開きます。

獄門峠 第1章 間違えられた男

(1)間違えられた男(その1) 2025/06/01公開
 天正半ばのある年の冬の始めに、一人の男が奥州鹿角郡に入ろうとしていた。
 その男の名は赤平虎一と言う。通り名は赤虎だ。
 赤虎は背が高く、がっしりとした体躯をしているため、跨る馬が小さく見えた。
 その馬の鞍には、大きな体によく似合う野太い刀と大鉞が括り付けられていた。
 この風体からして、とても堅気の姿とは思えぬが、それもその筈で、この男は奥州一帯を荒らす盗賊団の首領であった。盗賊団は総勢百人ほどで「毘沙門党」を名乗っている。ただし、赤虎たちが襲ったのは、民に重税を課す侍や、富を貪る悪徳商人たちだけである。
 赤虎はこのような輩から穀物や財宝を奪うと、下々の貧しい民にそれを分かち与えた。
 このため、世人はこの盗賊のことを畏れる一方で、半ばは敬いもしたのだ。
 赤虎は侍や商人たちからは悪人として怖れられたが、貧しい民からは、親しみを込め、「赤虎」と呼ばれていたのだ。
 侍にとっては、もちろん、この赤虎は天下の極悪人である。
 赤虎は背丈が六尺に届くほどの大男であったから、どこに現れてもそれと知れ、すぐに侍に追われることになる。
 このため、赤虎は奥州各地に「不侵(おかさず)の郡(こおり)」、すなわち盗賊団が悪事を働かぬ場を設け、手下たちにも固くそれを守らせた。こうして置けば、その土地の中でだけは役人に追われずに済む。  
 すなわち、盗賊にとっての安息地が確保出来ることになったのだ。
赤虎は鹿角郡をそんな安息地のひとつにしていた。

 さて、既に陰暦十月の終わりとなり、風の冷たさが身に染みる頃だ。
 おまけにこの日は雨が降っていた。
 雪であれば濡れずに済むところを、一日中雨が降り注いだものだから堪らない。
 赤虎は熊皮の外套を着て、さらにその上に藁蓑を重ねていたが、初冬の雨は容赦なく、着物の中まで沁み込んだ。
 だが、赤虎はここで休むわけには行かなかった。
 赤虎のすぐ後ろに、浄法寺修理の手勢が追って来ていたからだ。
 浄法寺修理は糖部郡の西南地方を支配している自侍だった。
 この年は激変の年で、夏には京で織田信長が自身の家臣の手によって殺されている。
 北奥では、田子九郎信直が三戸・南部氏の主の座に就き、二戸の九戸政実に抗すべく、周辺の地侍との連携を模索していた。
 糖信の地侍たちも、徐々にその二つの勢力に二分されようとしている。
 南部信直は、九戸政実に対抗するために、西方に隣接する浄法寺と連絡を密にしていた。

 この日の前夜、赤虎は三戸の商人を襲ったのだが、逃げる途中で浄法寺の大隊に遭遇した。すぐ後ろには南部の捕り手が迫っている。程なく赤虎は、浄法寺と南部双方の武装兵に挟まれることになった。
 二つ軍は連携して赤虎一味を追ったので、遂に盗賊たちは散り散りになって逃げる羽目になってしまった。
 赤虎は単身で逃れたが、捕り手が去るまで身を潜める必要が生じた。そこで鹿角郡に入り、山奥の湯治場に向かったのだった。
 毎年赤虎はこの時期になると、数多の戦闘で得た傷を癒すため、鹿角の山中で湯に入るのを習わしとしていた。この湯治場には湯が沸いているだけで、他には何もない。
 少数の湯治客が訪れるだけである。
 秋が終り、冬が来ると、この地は雪に覆われてしまうから、数少ない湯治客も姿を消してしまう。盗賊が身を隠すには、まさに格好の場所であった。

 丸一昼夜、山の中を歩き、赤虎は湯治場の一番奥にある小屋に転がり込むことが出来た。
しかし、急場凌ぎに訪れたので、この時の赤虎は何ひとつ身支度をしていなかった。
このため赤虎が携帯していた食い物は、三日と持たずに尽きてしまった。
それでも、赤虎は追手を避けるために、それから二日我慢してその小屋に留まった。
しかし、さすがに空腹には耐えられない。
 赤虎は六日目にして我慢の限界を迎え、ここで初めて湯治場の外に出ることにした。
 この湯治場から三里ほど出れば小さな宿場がある。そこの宿屋に行けば、食い物も酒も手に入るのだ。
 
 この日、赤虎が訪れたのは、「沖屋」という名の店であった。
 山の中にある宿屋なのに、「沖屋」とは、如何にも奇妙な名づけ方である。
 それはこの店の主人が元々漁港の育ちで、鹿角に移り住むようになる前は、長らく漁師をやっていたからである。
 ある年に鰹の大豊漁があり、港の漁師皆が一時(どき)に大金を手にした。沖屋の主人はそれを機に漁に出るのを止め、山家に移り住んだ。
 主人はこの地で商売を始めるに及んで、店の名前を「沖屋」に決めたのだった。
 宿屋と言っても、それはほぼ名ばかりの襤褸(ぼろ)家であった。
 この家は元々馬喰商人が住居としていた建物で、前は大きな厩の隣に幾分こじんまりした母屋があるだけであった。
 その襤褸屋を安く買い取った主人は、家を改造し、部屋の数を二倍に増やした。 
 この宿屋の部屋数は八つで、今の主人はそのうち十六畳ほどの大広間を客間として、客を雑魚寝で寝泊まりさせていた。
 雨露を凌げる程の屋根の下に、客に寝床を貸すばかりの宿ではあったが、意外に美味い酒と肴を出したので、店はそれなりに繁盛していた。

 この日、赤虎がその店を訪れると、広間の中には五六人の旅人が、思い思いの場所で寝転んでいた。
 赤虎は宿屋の玄関口で、店の主人にひと声「酒をくれ」と声を掛け、広間に上がり込んだ。そのまま赤虎が室内に入ると、先にいた客たちが揃って視線を向けて来た。
 赤虎は背丈が六尺に届く大男である。常人の間に入ると、頭ひとつ飛び越える高さである。そのため、否応なしに人目を惹いてしまう。
 赤虎は熊皮を脱ぐと、手早く畳んで脇に置き、茣蓙(ござ)の上に腰を下ろした。
外套の中は小袖に奴袴(ぬばかま)の軽装である。
 部屋の中央には大きな囲炉裏があり、また四隅に火鉢や手あぶりが置かれている。
 また、まだ申の刻になるかならぬかの頃合いだが、客たちは皆酒を飲んでいた。
 このため、火の暖かさと人の熱気が相まって、部屋の中は息苦しさを覚えるほどであった。

 少し酒が入ると、直ちに赤虎の体が火照って来た。そこで赤虎は着物の両袖を捲り上げ、襟を少し緩めた。
 赤虎の腕や胸倉には、幾多の戦闘で得た刀創が刻まれている。
 体躯の大きさに加え、この生創である。
 周囲の旅人たちは、この大男に尋常ならぬものを感じ、次第に赤虎から視線を背(そむ)けるようになった。
 そんな中、少し離れた場所にいた一人の男だけが、時折、赤虎の様子を盗み見ていた。
 痩せた狐目の男は、それまで始終せわしなく周囲を見回していたが、赤虎が現れてからは赤虎だけを注視するようになっていた。
 暫くすると、その男は、ひと声「間違いない」と呟くと、立ち上がって、部屋の外に出ていった。

 赤虎は破れ障子の隙間から外の景色を眺めつつ、盃を口に運んだ。
 その様子を見ていたこの店の主人が、下働きの一人に声を掛ける。
 「ほら。そちらのお客に酒をお運びしろ。お代わりは二本だぞ」
 主人は赤虎の風体と物腰を見て、咄嗟に上客と踏んだらしい。
 赤虎が主人に顔を向ける。
 すると、齢五十を幾つか超えていそうなその男は、赤虎の機嫌を取るように愛想笑いを返して来た。
 「そのお里はまだこの店に入ったばかりで、気がききません。遠慮なく何でも言い付けなすって下さい。へへ」
 そこに女が小走りで酒を運んで来た。
 「ごめんなさい。気が回らなくて」
 徳利を下ろす女の手が白く美しい。
 その手の美しさに惹かれ、赤虎は思わず上を見上げた。女はその手の持ち主にふさわしい、小ざっぱりとした顔つきをしている。
 (何処か見憶えのある表情だ。俺は一体何処でこの女を見たのだろう。)
 己の記憶が定かでなければ、本人に訊けば良い話である。
 「お里と申したな。俺はぬしと、前にどこかで会ったことがあっただろうか」
 女は赤虎に顔を向けぬまま、くすりと笑みをこぼした。
 「お客さん。こんな下働きの女を口説くより、酌婦をお呼びになった方が早いですよ。呼びましょうか?」
 それを聞き、赤虎の方も「ふっ」と笑いをこぼした。
 「そうか。確かに『ぬしと前にどこかで会ったか』は女子に言い寄る時の常套句だな。だが今の俺は、本当にどこか別の所でぬしに会った覚えがあるのだ」
 「そうなんですか?どれどれ」
 女は赤虎の真正面に立ち、腕を組んで顔を覗き込んだ。
 「ううむ。さて、どこで会ったのかしら」 
 女は小さく首を傾げながら、赤虎を見詰める。
 齢は二十五六といったところだろうか。
 人目を引くような美人ではないが、今も娘時分の清楚さを保ったままでいるようだ。
 ここで女が口を開く。
 「お客さん。やっぱり私には分からないな。お客さんみたいに大きな人なら、間違いなく憶えている筈だけど・・・」
 この答えを聞き、赤虎は話を締め括る。
 「はは。やはり気のせいだったか。ぬしのように器量の良い女子を見たら、大方の男がそう思いたくなろう」
 「やっぱりお客さんもそう思う?」 
 「そう。やはりな」
 軽口に軽口を返すところは、この女の頭が回る証拠である。赤虎はこのお里という名の女子が少し気に入った。

 お里が客間から厨房の方に姿を消すと、表から男たちがどかどかと踏み込んできた。
 入って来たのは、総勢十人を超える侍たちである。
 まず初めにその中の一人が歩み出て、客の全員に聞こえるように声高に叫んだ。 
 「よし皆。我らはそこの男に用がある。関わりの無い者はこの部屋から外に出ろ」
 その侍が指し示したのは、他ならぬ赤虎であった。
 己を真っ直ぐ指で示されると、物事にあまり動じる事のない赤虎も、さすがに身を固くした。
 (こやつら。この俺を捕えに来たのか。)
 すると、それまで周囲に座っていた客たちが、大慌てで土間に駆け下りた。
 それと入れ替わるように、ばたばたと足音を立て、侍たちが土足のまま客間に駆け上がる。 
 侍たちはいずれも手槍や刺叉といった武具を携えていた。
『獄門峠』(1)間違えられた男 (続きその2)※20350606に公開。
 赤虎は無意識のうちに、右手で周囲をまさぐって刀を探したが、生憎(あいにく)、大刀はこの宿の入り口で主人に預けてあった。
 役人たちが赤虎を囲み、じりじりと輪を狭める。
 先程、この部屋に入りしなに声を上げていた侍が、ここで再び前に出た。
「おい。貴様は楠(くすのき)の半蔵だろう。貴様の首には賞金がたんまり懸けられているというのに、なぜ里に下りて来たのだ。馬鹿なやつめ。もはや逃れられんぞ。大人しくお縄を頂戴しろ」
「楠の半蔵だと・・・」
(何だ。人違いだったか。だがこの俺が盗賊の赤虎だと知れば、果たしてこのまま捨て置くかどうか。)
 赤虎はしかし、今は話の流れに従う他は無い。
「俺はその半蔵とか申す男ではない。人違いだな」
 この答えを聞き、役人が気色ばむ。
「何をほざくか。貴様のように六尺を超える上背(うわぜい)を持つ者は滅多におらぬ。加えて、その刀傷だらけの体を見れば、貴様が日頃よりまともな暮らしなどしておらぬことは歴然だ。このごろつきめ!」
 役人は終始、居丈高な口調である。
 赤虎は少々むっと来た。
「別人だと申しておろうに。その楠の半蔵とは一体どのような男なのだ?」
 これで役人が眼を剥いた。
「知らばっくれるな。貴様が猿(ましら)の三次の右腕だということは、この北奥中に知れ渡っておろう。人相風体とも、手配書に書かれた通りではないか」
 役人は懐から紙を出し、赤虎の眼の前で拡げて見せた。
「良いか。今ここで読んでやるぞ。上背六尺一寸から二寸。左胸と右の腕にそれぞれ大きな刀傷が一本ずつある、と書いてある」
 その言葉を聞き、赤虎が「ふふ」と笑いを漏らした。
「貴様。何を笑う!」
「背の高さと傷跡だけでは、この俺様がその楠の半蔵だという証(あかし)にはなるまい。それにこれを見てみろ」
 赤虎は己の襟を開き、胸前を晒した。
「刀傷が一本あるどころか、俺の傷跡は数え切れん程の数だ」
「おお」
 赤虎の胸には数十本の傷跡がある。その凄まじさに、周りの侍たちが数歩後退(ずさ)りした。

 この時、役人の輪の後ろから、声を掛ける者がいた。
「お役人様。そちらの御仁はこの先の湯治場に来なすった方ですよ。その方は確か閉伊郡(へいのこおり)の方で、ここには毎年来ておられます。猿の三次の一味とは一切関わりが無いように思われますが・・・」
 声を上げたのは、この店の主人であった。
 主人は赤虎と眼が合うと、小さく頷いて見せた。
 その主人の隣で、給仕女が口を添えた。
「そうですよ。この方は到底人殺しをするような悪人ではありませんよ」
 これはお里である。
 二人の話を聞いて、あの役人が眉間に皺を寄せた。
「間違いなくここに楠の半蔵がおると、我らに報せて来た者がおるのだ。おい、口入れ屋の松。何処(どこ)ぞにおるのだ。出て来て証(あかし)を立てろ」
 役人が広間の中を見渡すが、その口入れ屋の姿はとんと見当たらない。
「あいつめ。賞金首を見つけたからすぐに来いと、我らを呼び付けて置きながら、一体何処へ行ったのだ」
 当の本人は、気配が芳しくないのを察し、早々にとんずらしてしまったらしい。 
 ここで役人が気を取り直し、もう一度赤虎の方に向き直った。
「では改めて訊ねる。貴様が楠半蔵でないなら、一体何処の誰だ。何という名なのだ」
 もちろん、赤虎は無言である。赤虎自身、北奥中に名の知れ渡った盗賊であるから、即答しようがない。
「ほら見たことか。貴様は己の名を答えられまい。その傷跡を見れば一目瞭然で、貴様はいずれにせよ盗人か人殺しだろう。貴様が楠の半蔵であろうとなかろうと関わりない。城に引っ立てて、貴様の悪事を暴いてやる」
 赤虎はその役人を睨み返した。
(確かこの鹿角郡(かづののこおり)では一度も仕事をしておらなんだな。なら、試しにそう言ってみるか。)
 赤虎は腹を括って、役人に対峙した。 
「おい。俺は確かに善人ではない。と申すより、ぬしの言う通り、確かに悪人の類だ。しかし、この鹿角郡(かづののこおり)で俺は何ひとつとして悪事を働いてはおらぬぞ。ぬしは一体何の咎(とが)でこの俺を掴まえようと言うのだ」
 これに役人がせせら笑う。
「ほれ白状したな。この盗人め。貴様を捕縛するかしないかは我らが決める。貴様は一体何者だ」
 赤虎は「ふう」とため息を吐いた。
(毎度ながら、またもややこしい話に巻き込まれる訳だな。面倒な事だ。)
赤虎は己の手元に置かれていた手炙りから、さりげなく鉄の火箸を抜き取った。
(こんな腑抜け面をした侍どもなど、これで十分だ。)
「俺か。俺はな・・・」
 ここで赤虎がすっくと立ちあがったので、周りの役人が一斉に身構えた。
 赤虎はその役人たちに言い放つ。
「俺の名は赤平虎一と言う」
 周囲を囲む人垣に、どよめきが起きた。
「盗賊の赤虎」の名は、やはり北奥中に鳴り響いていたのだ。
「おお。毘沙門党の赤平虎一か」
「あの赤虎か」
「何と。楠の半蔵より、はるかに大物ではないか」
 役人たちの眼が一様に丸くなった。

 この時、広間の入り口の方から、新たに侍が入って来た。
「道を開(あ)けよ!」
 赤虎を取り囲む人垣が崩れ、三人の侍が姿を現した。
「どれ。北奥にその男ありと知られた、盗賊の赤虎とは一体どんな男だ。わしにその顔を見せてみよ」
 三人の中央に立つ男が口を開いた。
 その侍の年恰好は凡そ四十と幾つ。
 赤虎とほぼ同じくらいの年恰好である。
 筋肉質のその体を見れば、幾度の戦を経験してきた兵(つわもの)であることは歴然であった。
「お前が赤虎か。噂に違わぬ大男だな。ふふふ」
 その侍の飄々とした物腰に、赤虎はじっと動かず様子を見守った。
「話は外で聞いていた。ぬしの申す通り、もしぬしが毘沙門党の赤虎だとすると、確かにぬしは  この鹿角郡では何ひとつ悪事を働いておらぬ。ぬしの本拠は閉伊郡や岩手郡だろう。あるいは斯波辺りまでか。いずれにせよ他領で何を行っておろうと、この鹿角で罪を問われることはない」
 この侍の意外な言葉に、家来たちは「え」と声を上げ、互いに顔を見合わせた。
 家来たちを一瞥し、周囲に睨みを利かせつつ、侍が言葉を続ける。
「わしの名は大湯四郎左衛門。大湯鹿倉館の主だ。昨夜この先の村を賊が襲ったので、今から調べに参るところだった。たまたまこの近くを通った時に、口入れ屋の松と申す男が、賊の一味の者がいると報せて来たので、急遽、ここに回って来たのだ」 
「なるほど。随分と手回しが良いと思ったが、別の捕り物があったわけだ」
 赤虎の言葉に、大湯四郎左衛門が頷く。
「猿(ましら)の三次の一味は、ただの盗賊ではない。村人を丸ごとかどわかしては、女子どもを売り飛ばす。大人の男は、手足の一部を切って動けなくしたうえで奴婢にする。その上、役に立たぬと見れば、容赦なく殺し、野山にうち捨てているらしい」
「それは酷(ひど)い」
「そやつらが狙うのは、辺鄙な山奥の小さな村だ。やつらは老若男女、総ての村人を連れ去る。よって、やつらに襲われた村には、人っ子一人おらぬようになる。語るべき口が一つも無くなってしまうから、これまでなかなか悪事が露見しなかったのだ」 
「狙われるのが金持ちや侍なら、直ちに腰を上げるだろうが、下々の者たちであれば、六に調べもせずに捨て置かれることだろうな」
 赤虎の皮肉を聞き、四郎左衛門の表情が少し強張った。
「そこは残念ながら、ぬしの申す通りだ。巧妙なことに、これまで猿の三次は、山奥の村ばかり狙って来た。近在の者が訪れた時には、村人が消えている。それで神隠しが起きたと噂になったが、その実はそやつの所業だったのだ」
「俺はこの北奥の動向については、隅々まで承知している。しかし、そんな男の話は聞いたことがないぞ」
 四郎左衛門が頷く。
「うむ。猿の三次は、一年ほど前に出羽米沢から移って来た男だ。よって、北奥に来てからまだ日が浅い。米沢の前は上方におったようだしの。仲間は初め数人だったが、米沢のごろつきを呼び寄せ、今は四十人はおるようだ。おまけに・・・」
四郎左衛門がここで言葉を止め、ため息をひとつ漏らした。
「おまけに何だと申すのだ」 
「猿を手下にしておる」
「なに?」
「どうやら三次は野猿峠の辺りをねぐらにしておるようだが、その名の通り、そこには数多くの野猿がおる。三次はその猿どもを餌付けして、己の隠れ家を守らせているのだ」
「なるほどな。猿という通り名は、その猿たちから名づけられたという訳だな」
「そういうことだ。これまで一味の正体が掴めずにいたが、つい幾日か前に若者が一人、やつらの隠れ家から逃げ出して来た。それで、そやつらが野猿峠を本拠にし、猿たちを操っておることが判ったのだ」
「畜生を手なづけ、人様をかどわかすとは、ふざけたやつらだな」
 腕を組む赤虎に向かい、四郎左衛門は顎をしゃくって見せた。
「ぬしは運の強い男だな。たとえこの鹿角で罪を犯しておらぬとて、ぬしほどの悪党なら、ひっ捕らえて、三戸殿なり斯波殿に渡せば、たんまりと礼を貰えよう。だが、我らは今、ぬしに関わっておる暇はない。そこで今はぬしのことを不問に処す。だから、ぬしは強運な男だと申すのだ」
「ふん」
 ここで四郎左衛門は、周囲の侍たちに「もう行くぞ」という合図を右手で送った。
 指示に応じ、侍たちが動き出すと、四郎左衛門はもう一度赤虎に向き直る。
「盗賊の赤虎。此度わしはぬしを放免する。だがぬしはこの鹿角を早々に立ち去るのだぞ。もし次にぬしの顔を見た時は、此度のように黙って見過ごしたりはせぬ。分かったな」
 四郎左衛門はその言葉を伝え終わると、赤虎の返事を待たずに背中を向けた。
 四郎左衛門はそのまま数歩歩き出したが、そこで足を止め、もう一度振り返った。「たった今何かを思いついた」というような表情だ。
 四郎左衛門は穏やかな口調で赤虎に言った。
「赤虎。ぬしは筋金入りの盗賊だ。なら盗賊の考え方に通じておるだろう。もしや、三次一味の腹の内をも掴めるのではないか。もしぬしが猿の三次の捕縛に加勢してくれるなら、ぬしには、この後もこの鹿角郡を好きに出入りして良いと計らおう。どうだ赤虎。悪い話ではあるまい。もちろん、それはぬしがこれまで通り、ここで悪事を働かぬ場合の話だがな」
 意外なことに、侍が盗人に助勢を求めていた。これは滅多に起きぬ事態である。
 先程までとはまったく逆さまの風向きであった。
 
 四郎左衛門のこの言葉を聞き、赤虎の心に浮かんだのは疑念の方であった。
(こやつ。俺をたばかろうとしておるのか。)
 赤虎は四郎左衛門を見上げ、真意を確かめようと眼の色を見る。
 その男の両眼は、己の言葉に裏を感じさせぬような真摯な光を放っていた。
 赤虎は日頃から悪人の間にいるので、悪意や嘘の気配には敏感である。
だが、その男はまるで違った。
(この男。侍の体面を捨てても、賊を捕えるつもりなのだな。心底から領民のことを思い気遣っているのだ。しかし・・・。)
「大湯四郎左衛門。ぬしは先ほど、この赤虎は鹿角郡とは関わりを持たぬ男だと評したが、その通り俺はこの地の者とはあまり関わりを持ちたくない。俺はここには一年に一度だけ湯治のために参っているのだ。ひっそりと過ごしたきが故に、これまでも、またこの後も、この鹿角郡で悪事は働かぬ。となれば、お互いに無用な関わりを一切持たぬようにすれば、何ひとつ面倒事が起こらぬ理屈だろう」
 四郎左衛門が両眼を細める。
「それは、わしに加勢してはくれん、という意味だな」
「そうだ。俺にとっては何の利益も無い話だ。加勢しようがしまいが、俺の境遇は前と何ら変わりない」
「分かった。では先ほど申し渡した通り、早々にこの鹿角を出て行くが良い。まあ、三四日くらいは湯に浸かっていても構わぬ。ぬしは湯の谷におるのだろう。その湯の谷は元々、寺社縁(ぶち)だから、侍は一切関知せぬ場所だ。だが赤虎。湯に入っている間に、もし気が変わったら、直ちにわしのところに参れ。賊は四十人というから大した数ではないが、野猿が数百頭を超えるとなると、ちとやっかいでの。畜生が相手では、攻め勝手が分からぬ」
渋い表情の四郎左衛門に、赤虎が顎をしゃくった。 
「まずはありったけの犬を掻き集めることだな」
「なに?」
「犬を集めて、猿どもを追い立てれば、いずれ必ず隙が出来よう。その隙に、猿の後ろに隠れておる賊の隠れ家を急襲するのだ。百や二百匹ほどの猿なら、犬が六七頭もいればよい」
「やはりその手しかないか」
「冬の間は山に餌が乏しい。それでその三次とやらが、猿に餌を与え手懐けることが出来たのだ。しかし、今は秋の終わりだ。秋は一年で最も食い物が増える時節なのだ。食い物に困らぬので、猿たちの気も緩んでいるだろう。そこを犬で追い立てれば、猿はほとんど抵抗することなく、山の奥に逃れようぞ。人と猿とを引き離すことが出来れば、後の目算が立つ」
「しかし、もはや悠長なことは言ってはおられんのだ。これまでに五つ六つの山村が襲われておる。それぞれに二、三十人の村人がいたようだから、これまでにざっと百五十人は連れ去られた。この悪行は今すぐ止めねばならぬ」
「いよいよぬしの尻に火が点き、盗人の手すら借りたくなったのか」
「いや、それほどまでではない。ただ、そこにある素材を使わぬ手は無いと思ったまでだ」
大湯四郎左衛門は実直な男のようで、赤虎に対し正直に心の内を語っていた。 
 ここで赤虎が改めて周囲に眼を遣ると、侍たちの姿はすっかり消えていた。
 緊迫した状況でもあり、先に野営地に帰ったのだ。
 赤虎の視線で、四郎左衛門もそれを察した。四郎左衛門は、今はその場に己一人になったことを知ると、赤虎に顎を一度しゃくり、再び背中を向けた。

 役人たちが去った後、程なく客たちが広間に戻って来た。もちろん、赤虎の傍には寄らず、遠巻きにするように遠く離れたところに座ってゆく。
 客たちは、赤虎が自ら「この鹿角で仕事はせぬ」と口にするのを聞いてはいたが、さりとて相手は稀代の大盗賊である。
これまで赤虎が百人を超える侍を斬って来たことは、北奥中でよく知られている。
 人殺しを何とも思わぬような、この盗賊のことが、やはり恐ろしいのだった。

 場に緊張感が生まれると、酒が不味くなる。赤虎はこの店の主人を手招きで呼び寄せた。
「勘定は幾らだ。永銭五六十文なら、今ここに持ち合わせがある。足りなければ、鹿角を去る前にまた持って来よう」
『獄門峠』(1)間違えられた男 (続きその3)※2025/0608公開NEW!! 
主人は揉み手をし、愛想笑を浮かべながら近寄って来た。
「お代は結構でございます。あともう二三本お酒をお出ししますので、ゆっくりなさってください」
「店に迷惑を掛けたのではないか。客は皆、俺のことを避けているようだぞ」
「良いのですよ。一昨年は冷害で作物が実らず、皆が困窮しました。幾人が冬を越せるかどうかも分からぬような有様でした。そんな時、毘沙門党の方々が、家々の戸口に粟稗を置いて下さったと聞きます。その穀物のおかげで命を繋ぐことが出来た者が、ここには大勢おるのです。皆に代わり、この私に心ばかりのお礼をさせてください」
 赤虎が返事をする前に、主人は後ろにいたお里を促した。お里はその時既に酒を運んで来ていたので、すぐさま卓台の上に酒徳利をふたつ置いた。
 ここで赤虎は首を縦に振った。
「分かった。では遠慮なくこれは頂こう。これを飲んだら俺はすぐに去る」
 お里が差し出す酒を盃に受け、赤虎はぐいとひと息に飲んだ。
 改めて窓のほうを向くと、外から太鼓の音が入って来た。
 どおん。どおん。
 重く響く独特の音色である。
「あれは・・・」
 これに、お里が頷く。
「この近くの村の若者が叩いているのです。年に一度の夏祭りは終わりましたが、その名残を惜しんだ若者たちが、まだあのように叩いております」
 店主も座敷の上り端に腰を掛け、この太鼓の音を聞いていた。
「あの太鼓は四郎左衛門様が始められたのです。大湯は小領で兵力が乏しゅうござります。敵軍に対抗するには、少ない兵たちの気力を掻き立て、それぞれが奮迅の働きを致さねばなりません。そこで、四郎左衛門様は、あのような太鼓を打ち鳴らすことで、家臣どもを鼓舞したのです。元々はその大湯侍の戦陣太鼓が始まりですが、今はこの辺りの郷総てで、あの太鼓を叩くようになっております」
 再び「どおん。どおん」と太鼓の音が響く。
 戦陣太鼓が起源であるから、勇壮な音色であるのも頷ける。
「なるほど。これが噂に聞く大湯太鼓なのだな」
 赤虎がそのまま暫く音を聞いていると、急に調子が変わった。
つい先ほどまでは二つ打ちであったが、今度は五つである。
 赤虎はこの太鼓の規則正しい音を聞いているうちに、少し眠気を感じるようになっていた。
「おい主人。俺は少しだけ休んだら、店を出て行く。これ以上迷惑は掛けぬ。少し経ったら俺の刀を返してくれ」
 主人は小さく頭を下げると、再び厨房の方に姿を消した。

 赤虎は右腕を卓上につき、顎を支えながら、うとうとと居眠りをしていた。
 どうやら小半刻程寝入っていたらしい。
 周囲に人の気配を感じ、赤虎がうっすらと目を開くと、すぐ間近で、唐突に大きな声が響いた。
「おい。盗人の赤虎!」
 赤虎が薄目を開くと、目の前に立っていたのは七八歳くらいの男児であった。
「小僧。俺に何か用があるのか」
 男児は胸の前に両腕を組み、赤虎のことを見据えている。
「おい赤虎。お前はなぜさっきの侍に手を貸してやらぬのだ?」
「なに」
「お前はただの追剥や強盗ではなく、たまには下々の民を助けてやっていると聞く。それなら人攫いに連れ去られた村人たちも助けてやれば良いではないか」
 喚きたてる男児の前で、赤虎は首を左右に振り、くきんくきんと音を立てた。
「さっきの件(くだり)を見ていたのか。なら侍どもの話も聞いていただろう。捕り物なら侍の務めだ。盗人の出る幕ではなかろう」
 男児は眦(まなじり)をいっそう険しくし、赤虎を睨んだ。
「侍など当てになるものか。あの侍も言っていたが、盗人のことは盗人が最も通じているだろ。ならお前が先に立てば、連れ去られた人たちの居場所を突き止められるかもしれぬではないか。違うのか赤虎!」
 男児は肩を怒らせ、赤虎を詰(なじ)る。
その真剣な表情を見て、赤虎はひとつの疑念を覚えた。
(攫われたのは赤の他人だと言うのに、この餓鬼は何故こんなに必死になっているのだろう。)
 この時、二人の横の方から声が響いた。
「これ厳(がん)徹(てつ)。やめなさい」
 声を掛けたのは、下働きのお里である。
 お里は赤虎に向かって頭を下げた。
「すいません。この子が不躾なことを申しまして」
 お里は男児の背中を強く押し、頭を下げさせようとしている。
「名は確かお里さんと申したな。この子はお里さんの・・・」
「この子は私の倅(せがれ)です。実は倅と同じくらいの齢の子どもたちが、その人攫いに連れ去られてしまったと聞き及んでおります。その中にはこの子の見知った子も幾人かおるようです。厳徹はその子たちのことを助けたくて、先ほどのような勝手なことを申し上げた次第です。どうかお許しください」 
「知り合いの子らが攫われたのか。ではじっとしておられぬ気持ちは、俺にも分からないでもない。だが」
 ここで赤虎は男児に向き直った。
「厳徹とやら。同じ年頃の子らを案じるぬしの気持ちはよく分かる。だが、日頃は敵(かたき)同士の侍と盗賊が、いざ急拵えで手を結んだとて、とても上手くは行くまい。先ほどの大湯とか申す侍も、見たところ気骨のあるまともな男だ。今はあの者を頼りとすべきだろう。外の者があれこれ口を出せば、往々にして策は崩れる。船に船頭は一人おれば良いのだ」 
 しかし、男児は「とても納得出来ぬ」という顔つきで、反駁(はんばく)しようとする。
「でも、赤虎。早くしないと、子どもたちが売られてしまうかもしれん。あるいは、うち捨てられてしまうかもしれんのだ」
「捨てられてしまう?それはまたどういうことだ」
 赤虎が問うと、母子の後ろから店の主人が現れた。主人は三人が気づかぬうちに、再び傍まで戻って来ていたのだ。
「猿の三次一派は本当に非道なやつらです。村々を襲っては、穀物を掠め取るだけでなく、人も攫います。年若い者や子どものことは奴婢として他国に売り飛ばしますが、悲惨なのは年寄りや怪我人など役に立たなくなった者たちです」
「年寄りども?三次は老いた者たちまで連れて行くのか」
「左様です。年寄りのうち働ける者は、下僕として使役しますが、動けなくなった者は・・・」
 主人の表情が曇っている。赤虎は直ちにその次の言葉を察した。
「四郎左衛門の申した通り、野山に捨てるのか」
 主人はここで口をすぼめた。
「どうやらそのようです。村人が他国に連れ去られるところを見た者がおりますが、年寄りは一人もいなかったとのことです。年寄りだけではござりませぬ。充分に働けぬ者もです。おそらく動けるうちは盗人どもの下働きとしてこき使い、それがもはや動けなくなったと見るや、容赦なくうち捨てているのでしょう」
「それは酷い話だ」
 眉間に皺を寄せる赤虎に、主人は軽く頭を下げる。
「赤平さま。賊は人攫いの悪党ですが、その前衛には野獣がおります。数多(あまた)の猿が相手では、貴方さまお一人が加勢したとして、助けにはなりますまい。ここは貴方さまが先ほど申された通り、四郎左衛門さまの御差配にお任せするのが宜しいでしょう。鹿角のことは鹿角の侍が治めるのが筋でござります」
「・・・」
 無言の赤虎に向け、再び男児が懇願を始める。
「ここで起きていることが、もうお前にも分かっただろ。赤虎。どうか子どもたちを助けてやってくれよ!」
 今ここで起きている事態を知り、赤虎は暫(しば)し思案をした。
その様子を見取ったのか、ここでお里が口を入れる。
「厳徹。お客様のご迷惑になりますよ。もう裏に行きなさい。」
 しかし、男児は納得出来ず、何度も首を左右に振り嫌々をする。
「だって・・・」
「やめなさい!」
 お里は、ぐずる男児の手を引き、広間の外に出て行った。

 二人を見送った後、赤虎が回りを見回すと、何時の間にか客たちの姿が無い。
 殺伐とした話を嫌い、一人また一人と立ち去っていたのである。
 大広間には、この店の主人と赤虎の二人だけが残された。
「赤平様。この後はやはり湯の谷に?」 
「ああ。当初の腹積もりの通り、あと二三日は湯に浸かるつもりだ」
「面倒事に巻き込まれねば宜しいのですが」
「ぬしが気にせずとも良い。また俺には、何時も厄介事が降り掛かるから、今さらひとつ二つ増えたとて苦にはならぬ」
「はは。そうでござりますか。では幾らか飯種をお持ちになりますか」
「せいぜい二三日故、米と干魚、塩菜が少々あれば良い」
「畏まりました」
主人が背中を向け厨房に向かうのを見て、赤虎のほうもゆっくりと腰を上げた。

天正19年3月時点の諸候配置図
天正19年3月時点の諸候配置図


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