獄門峠(3)攫われた村人たち(その1) 2025/06/09公開 NEW!!
(三)攫(さら)われた村人たち
野猿峠は西淵村から四里半ほど南に進んだ所にある。
急坂の難所であるから、この峠を越すには長い時を要する。
野猿峠の頂きは、平地より数えて二百仞(じん)の高さにある。山として眺めれば左程高い訳でもないのだが、坂道が極めて急であった。
馬一頭がぎりぎり通れるような細道が、斜面をうねうねと登って行く。
昔はこの道の他に道が無く、行き来するには必ずこの道を通らねばならなかった。
しかし、峠の西側に新道が出来てからは、野猿峠を越える旧道は、今では殆ど使われる事が無くなっていた。
人が通らなくなれば、すぐに道は荒れる。道が荒れれば、さらに人は通らなくなる。
そのため、野猿峠には、前よりも一層、人が訪れなくなっていた。
赤虎は幾つかの坂を上り下りして、その峠に向かった。
夜中ではあるが、空には月が出ており、足元はかなり明るい。このため赤虎が先に進むのには、さしたる差し障りは無かった。
三里半の道を歩き、峠は目前となった。
再び道が上り坂となり、勾配が急になっていく。
峠の頂き付近には、何人(なんぴと)かがいるらしく、曲がりくねった上り道を回るごとに、ちろちろと火の光が見える。
篝火を焚いているのである。
赤虎が一丁ほど坂を登ると、道の向こうに篝火が見えてきた。さらに地べたには、焚火も燃やしている。その焚火の周りを、七八人が囲んでいた。
(あっ。あれは・・・。)
篝火まで半丁程手前の道の脇に大きな岩があった。
その岩の陰に、子どもが一人隠れていた。
(あれは・・・。厳徹だな。)
赤虎のいる場所からその岩までは、およそ三十間である。赤虎はここで草履を脱ぎ、裸足になって先に進んだ。
足音を立てぬようにその岩に近づくと、赤虎は男児を後ろから抱きかかえた。
「厳徹。声を出すな」
男児が声を出そうにも、赤虎の大きな掌が口を押えている。
「よいか。手を放すが、声を立てるなよ」
男児がこっくりと頷く。
極力声を潜め、赤虎が男児に問う。
「厳徹。あやつらは賊か」
「うん。賊が三人。それと地べたに座らされているのが西淵村の人たちだ」
焚火の方を向くと、火の前には確かに三人の男が立っていた。
さらに火から少し離れた所にも数人の村人がいる。若い男女が四五人と、十歳くらいの男の子が一人である。
「あの子が庄三か」
厳徹が頷く。
「やつらは何故動かずにいる」
「もうじき人攫いの頭(かしら)が来るらしい。あの三人はそれを待っているのだ」
「では、急がねばならぬな。だが、今宵の月明かりでは、あちらからもこっちが丸見えだ。月が雲に隠れる時を見計らって、その瞬間にやつらを倒す。もし俺が動き始めても、お前はこの岩の陰でじっと待っているのだぞ」
「分かった」
赤虎は岩陰に座り込んで、背を岩に預けた。
「月が雲の後ろに隠れたら、すぐに俺を起こせ」
そう言うと、赤虎は両腕を胸の前で組み、目をつぶった。
小半刻の後、厳徹が赤虎を揺り起こす。
「赤虎。月が隠れたぞ」
赤虎が眼を開く。
「うむ」
赤虎はゆっくりと起き上がると、その場に草履を脱ぎ捨てた。
厳徹が首を上げると、赤虎は右手には鉈、左には拳二つ分の大きさの岩を持っていた。
道の広さは一間半で、左右は草に覆われている。赤虎は道の真ん中の土の上を、ひたひたと走り、焚火に近づいた。
この時、盗賊たちは焚火の周りに腰を下ろし、一様にうたた寝をしていた。
タタタタ。
裸足になり足音を消そうとしても、赤虎は尋常ならぬ大男である。このため、どうしても人が動く気配を隠せない。
赤虎に背中を向けていた一人が、この物音に気づき、後ろを振り向いた。
「何だ?」
ぐしゃり。
赤虎がその男の頭を鉈で力任せに殴り付ける。この一撃で、男の頭骨は右目の辺りまで二つに裂けた。
「わ」
他の二人が眼を醒ました。
赤虎は横っ飛びに跳躍し、一人の首根っこを叩き割る。
赤虎はすぐさま振り返り、残りの一人を足で蹴倒した。
「あちちち」
賊が倒れ込んだのは、燃え盛る焚火の上である。
赤虎は先に倒した男の手槍を拾い、焚火から転がり出た賊の腹をひと突きにした。
敵を倒し終えたところで、赤虎は村人に声を掛ける。
「よし。皆すぐに立て。急いで逃げるぞ」
しかし、誰1人動き出す者はない。
それもその筈で、四人は両手両足を固く縛られていたのだった。
赤虎はすぐさま厳徹を呼んだ。
「厳徹!こっちに来い。この者たちの縄を解け!」
男児が走り寄ってくる。
「縄を解いたら、直ちに皆で里に下りるのだ。すぐにこいつらの仲間が来る。もはや寸時の猶予もないからな」
「赤虎は?」
「俺はこの峠の上を見て参る。やつらの根城がどうなっているかを確かめるためだ」
「分かった」
厳徹のこの返事を、赤虎は己の背中で聞いた。
野猿峠の頂は、坂道をさらに三丁上った所にある。
(三次のねぐらはおそらく峠の向こう側にある。頂上を越えた辺りで、その様子が見えてくる筈だ。)
雲の合間(あいま)から再び月が出て、峠全体を照らし出していた。
赤虎が坂を上って行くと、唐突に鳥居のような形をした櫓が見えてきた。
丸太を組み、二層構造の櫓を立てていたので、ちょうどそれが神社の鳥居に見えたのだ。
櫓に人の気配はない。
赤虎はその櫓の間近まで近寄った。
月明かりの下、櫓の全貌が明らかになった。
「何だ、これは!」
櫓の上の二段の棚には、人の生首が横に並べられていたのだ。
端の方から数えてみると、頭の数はざっと三十から四十に及んでいる。その一部は既に白骨と化し、髑髏に変じていた。
大半の生首は年寄りのものだが、中には若い男や女子どものものも混じっていた。
赤虎は櫓の真下まで進んでみた。
太い柱は、やはり鳥居と同じく、左右に二本建てられている。
後ろ側には支柱が伸びて、その二本の柱を支えている。
櫓の周りには、あきれるほど沢山の人骨が散らばっていた。
「これは・・・」
骨には削ったような痕がいくつも付いている。まるで獣ががりがりと齧ったような噛み痕であった。
「そうか。合点が行ったぞ。三次らは屍を刻んで、猿どもに餌として与えているのだ」
猿の三次は猿たちを餌付けしている。
三次が猿に与えていた餌は、自分たちが襲った村人の屍肉だったのだ。
猿は草木や果実だけでなく肉も食う。
しかし、屍に頭が付いたままだと、その頭を怖れて食い付かない。
猿にも幾らかは人のような心があるからである。
このため三次一味は、事前に屍の首を切り落とし、胴体を分断して猿たちに与えていた。
こうすれば、飢えた猿には格好の餌となる。
ここに櫓を建て、その櫓の上に生首を配置したのは、首を怖れる猿たちを脅し、言うことを聞かせる為であろう。
「あるいは、里の者に対する警告か。ここには近づくな、ここに入れば同じような目に遭わす、という意を表しているつもりだな」
野猿峠はこの地方随一の難所で、普段から滅多に人が入らない。
三次は、さらに人を遠ざけることで、己の地盤を固めようとしているのだ。
(『ひと度、この先に進めば、お前たちは地獄を見るぞ』、と示しておるのだ。その意を示すために、この櫓は地獄の門を模しているのだ。ううむ。なんと非道な輩だろう。)
ただ己の欲を満たすために人を攫い、売り飛ばして金を得る。それだけなら、ここまで残虐な振る舞いははしない。
櫓に並んだ獄門首を見て、赤虎は「三次の腹の内には、目先の欲より大きくどす黒い野心がある」と感じ取った。
「猿の三次は、いずれこの天下の隅々まで悪行を布(し)き、己がその頂点に君臨する腹積もりなのだ」
すなわち、三次はこの世に地獄界を模した国を作り、己がその盟主となろうとしているのだ。
赤虎は首を軽く横に振り、首の関節をかくかくと鳴らした。
「どうやら、三次の悪行を、このまま見過ごす訳には行かなくなってきたな」
この時、背後から叫び声が上がった。
声はかなり遠くから聞こえる。
「きゃあ」
赤虎は、先ほど来た道を振り返った。
その叫び声は一里先から聞こえて来る。
切れ切れに聞こえる声には、子どもの声も混じっていた。
「あかとらああ・・・」
(う。あれは厳徹の声だ。)
赤虎は急いで走り出し、坂道を駆け下りた。
走る途中で、赤虎は背中に背負った刀を抜いていた。
つい先ほど三人の賊を倒した時に、その賊の刀を拾ってあったのだ。
元の焚火の所まで駆け戻ると、火の傍に七八人の賊が立っていた。
その後方には、再び縄で縛られた村人たちがいる。
「赤虎!俺はここだよ」
縛られた村人の中に、厳徹が混じっていた。
その声を聞き咎め、賊の一人が振り返って赤虎の方を向いた。
「赤虎だと・・・」
男はゆっくりと足を踏み出し、赤虎の前に立ちはだかる。
「きさまが噂に聞く毘沙門党の赤虎か。この奥州で一番の大盗賊なそうだの。なるほど。わしの手下を殺したのはきさまだったか。手下どもがあっさりと殺されておるので、一体どうしてこうなったのかと不審に思っておったところだ」
男は油断なく身構えつつ、手槍を赤虎に向けている。
赤虎の方も刀を青眼に構えた。
「お前が猿の三次か。ついさっき、お前が晒した獄門首を見たぞ。随分と非道な所業だな」
三次がせせら笑う。
「ふん。どれ、その天下一の赤虎さまがどれ程のものか、技量を確かめてやろう」
猿の三次は前の年まで、出羽中を荒らし回っていた賊である。
このため戦闘には手慣れていた。
赤虎に瞬時も考える隙を与えず、三次は槍を繰り出して来た。
三次が「シャア」と掛け声を発しながら、槍を突き出す。
赤虎は寸でのところで身をかわし、辛うじてそれを避けた。
赤虎は三歩後ろに下がり刀を抜くと、再びそれを青眼に構えた。
すかさず三次の手下どもが赤虎の周囲を取り囲む。
(敵は八人か。一人ひとりに長く掛かっていると、さすがに俺の方が不利になるな。)
そこで赤虎は突然、三次に背中を向け、己の真後ろにいた賊の足を刀で払った。
「うわあ」
その手下が地べたに転がった。
これで包囲の一角が崩れた。その隙に、赤虎は坂下の方に走り出した。
手下たちが慌てて赤虎を追い駆ける。
「おい待て。逃げるか。この野郎」
十五歩走った所で、赤虎はくるりと振り返り、逆方向に戻って来た。
手下たちは赤虎を追い駆けようとしていたので、態勢が崩ればらばらである。
そこを急襲し、赤虎は続けざまに二人を倒した。
「ぎゃあ」
赤虎は手下の一人の腕を切り落とした。もう一人のことは、腹を一文字に切り裂いた。
手下が二三歩前に歩んだところで、腸が腹から飛び出した。
赤虎は休むことなく走り、今度は三次目掛けて、大上段に刀を振り下ろした。
三次が手槍を上げ、赤虎の刀を受け止める。
がきん、という音が周囲に木霊(こだま)した。
赤虎は三次と合わせた刀に力を込める。
三次がそれを堪(こら)えようと力を入れ返したその一瞬に、赤虎はふっと刃先を外した。
これで三次は前のめりとなり、一歩二歩と足を前に踏み出した。
その隙に、赤虎は後ろ腰に差してあった鉈を左手で引き抜いた。
赤虎が右手の刀をもう一度振るおうとすると、三次がそれを防ぐために手槍を上に上げた。
最初の赤虎の動きは「誘い」で、狙っていたのは、左からの一撃である。
赤虎は左手の鉈を三次の太腿に飛ばす。
三次はその鉈を避けようとしたが、逃れ切れず、腿に大きな傷を負った。
「痛てて。畜生」
三次は右足を引き摺りながら、後ろに下がる。
「半蔵!半蔵!こっちへ来い」
三次が叫ぶと、道の奥の暗がりから、大男が姿を現した。
のっそりと現れた男は、見上げる程の上背である。おそらくは六尺を三四寸超える身の丈であろう。体躯もがっしりしており、三十貫を超えていそうな体つきであった。
「楠の半蔵とやらはきさまか」
赤虎も半蔵と同様、六尺を超える上背を持つ。
(これ程の背丈を持つ者はざらにはおらぬ。なるほど。俺が沖屋で間違えられた訳だ。)
しかし、上から下まで眺め渡してみたが、半蔵は図体が大きいだけで、如何にも愚鈍な男に見える。 (続く)