九戸戦始末記 北斗英雄伝

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早坂昇龍(ノボル)&蒼龍舎                            



其の十六 朝露の章

 其の十六 朝露の章
 
 天正十九年六月二十六日。
 浄法寺修理の許を小平左近が訪れる。左近の用件は、三戸に叛意を示した修理の弟の左京亮(重行)を討てというものである。  
 修理は渋々了承し、田山館にいる左京亮、主膳討伐のための軍を立てる。
五日後の朝。修理は田山館に軍勢を寄せた。三月以降の弟・左京亮の振舞いは、修理が九戸党に参じるのを促すところに真意があった。左京亮は修理とは戦わぬために田山館を去った。
 左京亮を追ったのは、修理の他、北彦助(愛一)や大光寺光親などである。左京亮は追手から逃れるために、大湯四郎左衛門のいる鹿角鹿倉館に向かうことにした。
 左京亮一行は鹿倉館に入ろうとするが、門の手前にあった泥濘に嵌り身動きが取れなくなってしまう。この泥濘は鹿倉館が拵えた罠で、浄法寺軍が館を攻略しに来たと解釈した館兵によって、左京亮一行は狙い撃ちされた。
 浄法寺主膳は、隊列の後方に居たため、この窮地を免れ、供の者二人と共に宮野城に向かう。

 天正十九年七月十日。疾風ら七人は沼宮内城の攻略後、城に留まっていた。
 九戸政実の命により、三好平八がこの城の城代として取り立てられたからである。
 片や、周囲を敵兵に囲まれていた為、毘沙門党も城を動けずにいた。
 南館にいた紅蜘蛛の許に、一枚の書付が届けられる。紅蜘蛛が開くと、その内容は、妹のお芳を捕まえたので、紅蜘蛛が一人で沼宮内領の南端の三本松まで来いというものであった。紅蜘蛛は一人で出発するが、猿田十三が同行を申し出た。
 お芳の危機を知った疾風は、東孫六と共に紅蜘蛛を追い駆ける。
 他の五人にもこの報せがもたらされ、次々に救援に向かう。
 紅蜘蛛が三本松に到着すると、そこで待ち構えていたのは、数ヶ月前に鶴屋で痛めつけた斉藤監物以下、三戸方の二百人の捕り手であった。捕り手に囲まれた紅蜘蛛は、たった一人の戦いに挑む。
 この時、川口の町を二騎の侍が進んでいた。大崎の偵察から戻る途中の工藤右馬之助と根子内蔵介である。二人は紅蜘蛛を助けるために、三本松に馬を向けた。
 右馬之助が斬り合いを始めると、そこに疾風と孫六が突入する。さらには、他の五人も次々に戦いの輪に加わり、捕り手を蹴散らした。
 右馬之助は傷付いた紅蜘蛛を馬に載せ、皆で沼宮内城を目指した。

 七月十三日、浄法寺修理は浄法寺を出陣した。大光寺光親、毛馬内権之助、大湯五平衛と合流し、大湯四郎左衛門のいる鹿倉館を攻めることとしたのである。
 先手が大光寺、二番槍が毛馬内、大湯で浄法寺修理は三番槍の布陣であった。
 圧倒的に数に勝る包囲陣である。波状攻撃により、二百名近くいた館兵は百三十名までその数を減じた。
 大湯四郎左衛門は正面突破の覚悟を決め、皆が一団となり正門から突撃する。
 大光寺の包囲を突破すると、毛馬内、大湯勢は、全く手を出さず館兵を通した。
 しかし三番槍の浄法寺修理が、四郎左衛門を待ち構えていた。修理は形の上では弟・左京亮を放逐しようとしたが、弟の心情を十分に理解しており、けして本意ではなかったのだ。
 修理は四郎左衛門に向かい、「昔風の戦」を申し込む。四郎左衛門はそれを受け、一対一の騎馬戦が始まった。
 二人は存分に戦い、修理は四郎左衛門の力量を認め自陣から逃がした。鹿倉館を脱出した館兵の内、八十九人が宮野城に到着した。

天正十九年七月二十四日。二戸宮野城には主だった将兵が広間に集められた。
 九戸政実は葛西大崎で起こったことを例に挙げ、上方軍を打ちのめすこと、北奥の民を無闇に殺させぬことを皆に誓った。
 
 同日の夜。沼宮内城の主館では、束の間の休息を楽しむべく宴が催された。もはや決戦は間近で、近々に下働きの者を城から下げる。よって、これが最後の宴である。
 疾風と平八は、右馬之助が紅蜘蛛と和やかに話をしているのを見る。平八は疾風に向かい「二人をこのままそっとして置こう」と告げた。

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