九戸戦始末記 北斗英雄伝

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一戸城

 国道4号線を北上し、一戸バイパスに入ると、最初に「御所野縄文公園」の看板が右手に見えます。
これを過ぎ、少し進むと、左手に「一戸公園」の看板が見えてきます。バイパスでスピードを上げていると、つい見逃してしまうほどの小さな看板ですが、ここが一戸城の北館付近になります。
右の画像は、バイパスから見える看板です。
隣は何かの施設(水道関係?)で、手前が駐車場になります。



左画像が何かの施設です。
右の画像が駐車場。
駐車場には、50〜60くらいが入りますが、この奥に進むと、右手に小さな公園があります。
お城は一体どこかしら?



小公園の左手に、神社が見えました。
階段を降り、神社に向かいます。城跡は一体どこなんでしょ。

さらに下に下がってから、途中に何か標識のような柱が立っていることに気付きました。



田頭城の案内板
田頭城の案内板

これだあ!
「一戸城址」とあります。

神社は「北館神社」で、要するに城の守り神だったか、あるいは後で建てられるかしたもののようです。
城跡の風情を今に伝える物は、この神社周辺のつくりと標柱だけだったようで、長い間、ここが主郭と思われてきたのです。

三の丸に向かう階段
三の丸に向かう階段

北館の西に回ると、土手になっており、細道が下に向かっています。
先に墓石が見えることから、周囲をきれいにする為の道かもしれません。


車で北館を迂回する道を途中まで下りると、一戸の町が見えます。
ここには、主館である神明館や八幡館など複数の館があったようですが、大半が人家となっており、どこがどこやらよく分かりません。
 一戸城を巡る最後の戦いについては、実はよくわかっていません。おそらく、天正19年の春に北主馬(秀愛)が戦死した後、 九戸党がこの城を支配していたが、蒲生氏郷・浅野長吉を主力とする上方連合軍により、落とされたものと考えられます。
 資料、伝説とも乏しい為、南部藩や岩手県の郷土史の解説では、「一戸実富は、ほとんど戦わずして宮野城に逃げた」としているようです。

 しかし、九戸戦直後の諸城破却令では、実際に壊されたのは建物(館)だけでした。
 他の多くの城では、曲輪(郭)跡などが残っているケースが多いのに比べると、この一戸城ではそれすら跡形も無くなっています。
 この辺を考慮し、「北斗英雄伝」では、一戸城は上方・九戸の大激戦の後、破壊されつくしたとしてあります。

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