九戸戦始末記 北斗英雄伝

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中尊寺白山神社

 平泉中尊寺は九戸戦とはまったく関わりの無い地のようですが、意外な縁があります。
 第2次奥州仕置の際、惣大将として羽柴秀次が旧大崎領まで遠征しました。
 この時、この地は伊達政宗の所領でした。
 これより前、伊達政宗は大崎一揆を陰で扇動していました。このことが露見しそうになり、政宗は秀吉の責めを受けます。
 政宗は何とかこれを免れましたが、その代わりに米沢から旧大崎領への国替えをさせられたのです。
 九戸戦の頃には、政宗は岩出山城を本拠としていました。

 この中尊寺白山神社には神楽殿があります。
 この建物は後代のものですが、能楽は16世紀に始められたもののようです。
 案内看板には、「中尊寺の能楽は、羽柴秀次と伊達政宗がこの地で能楽を鑑賞したのが始まり」と書かれています。
 羽柴秀次がこの地を訪れるのは、奥州仕置きの時だけで、能楽を楽しめるのは「遠征が終わりになるから」ということ、すなわち九戸戦の直後ということになります。
 おそらく、蒲生氏郷らを出迎えるために、2人は平泉まで赴き、そこで遠征軍の帰還を待つ間に能楽を鑑賞したのだろうと考えられます。
 (この辺は資料がまったく見当たらないので、あくまで推測です。)

坂上駐車場より境内に向かう道
坂上駐車場より境内に向かう道

 まず中尊寺の山門下に入り、坂上駐車場に向かいます。
 坂下にも駐車場がありますが、ここに車を置き、坂を上れるのは健康な人だけです。
 持病のある方やご高齢の方は、坂上の駐車場をお勧めします(料金500円)。
 画像は、その坂上駐車場を出て境内に向かう通路です。先まで行くと、右が宝物殿、左が金色堂になります。
 今回訪問したのは11月下旬で、もはや冬ですが、境内は紅葉がきれいでした。
 岩手県の中央部には雪が降っていましたので、この県の広さを体感できました。

美しい紅葉
美しい紅葉

 紅葉もさすがに終盤のようで、境内の池に沢山の葉が落ち、水面に浮かんでいます。
 古い御堂の佇まいと相まって、心に染み入るような鮮やかさでした。
 白山神社は、宝物殿や金色堂の向かい側にあります。

白山神社入り口
白山神社入り口

鳥居
鳥居

 白山神社の入り口のj看板と正面の鳥居です。

神楽殿遠景
神楽殿遠景

 神楽(能楽)殿の遠景となります。
 この建物の手前左手の方には、大きな施設がありますが、そこにはまだ入ったことがなく、どういう施設かは知りません。
 下の画像は神楽(能楽)殿の右側と左側です。歩く順に見て画像左⇒右となります。
 奥に進むと、白山神社由縁の案内板がありました。

神楽(能楽)殿
神楽(能楽)殿

神楽(能楽)殿の左側
神楽(能楽)殿の左側

 「現在の能舞は、天正十九年時の関白豊臣秀次と藩主伊達政宗公が当社参拝の節観覧に供し以来続行、今日に至っている」とあります。
 

白山神社由縁
白山神社由縁

お浄め場
お浄め場

 正確には、羽柴(豊臣)秀次が関白になるのは少し後で、まだ「藩」は出来ていないのですが、些細な違いなので、こだわることはありません。

白山神社
白山神社

茅の輪潜りの説明
茅の輪潜りの説明

 こちらが白山神社正面です。前に「茅の輪」が設置されており、真ん中から潜って入り、「拝礼の後、左右から抜ける」と書いてありました。

境内の紅葉
境内の紅葉

 たまたま訪問したのが紅葉の時期でした。鮮やかな色に、つい見とれてしまいます。
 中尊寺は近くを通る度に訪れますが、何度来ても心が落ち着きます。
 このような風景のためだろうと思います。
 詳細には調べていませんが、羽柴秀次と伊達政宗が、この中尊寺で共に能楽を鑑賞したことは、まだどこにも書かれていないだろうと思います。
 時期は九戸戦の直後と推定出来ますので、この時の心情を汲んで、文章に著すのは、やはり私の務めだろうと考えています。

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