九戸戦始末記 北斗英雄伝

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日戸館

 日戸(ひのと)館は、現在の盛岡市玉山区日戸にあるはずです。ここで「はずです」と言うのは、これまで発掘調査がなされていないからです。
 おそらく、日戸八幡のあるあたり、すなわち字古屋敷付近と考えられますが、この辺は大半が私有地ですので、中を調べることもままなりません。
 ひとまず、この日戸八幡に行ってみました。


玉山区の玉山出張所(役場)の向かい側から入っていくと、道の左側に八幡神社が見えます。
かなりの急階段になってます。


階段を上り切ると、すぐに清水を引いた手水場があります。
手を入れると水は冷たく、澄み切っていました。


正面には社殿があります。この左には相撲場と社務所。右には神楽殿があります。


 これが相撲場。玉山は昔から相撲の盛んなところで、小学生から大人まで稽古しています。神社の下の方には玉山小学校がありますが、おそらく今もそこには相撲場があるのではないでしょうか。


神社の左手には、下の道から迂回して境内に上がってくる道があります。車でも上がって来れたのですね。


その道を下っていき、振り返ると道の両脇は土塁になっていました。
明らかに人工物ですね。


反対側は畑ですが、ここにも人の手で造られたらしい土塁が見えます。
この辺には、もしかして建物もあったのではないでしょうか。
奥へ行こうとすると、「立ち入り禁止」の看板があります。ここはやはり私有地ですね。
この奥の地形を見れば、全体の構造が見えるはずですが、残念です。


もう一度下の道に戻ってみると、神社のある山全体が、何段かの階層構造になっていることに気付きます。
社殿ひとつの神社にしては、周囲が整いすぎているような気がします。


道を東に進み、神社のある方向を眺めてみると、神社周辺だけでなくこの丘陵全体に人の手が入っているのが見て取れます。ここには何か大きな建造物が複数あったのでは。
急斜面の上にあることを考えると、元はアイヌ館だったのを直して造ったものではなかという気がします。


隣は常光寺で、石川啄木の生家です。所番地では、この辺一帯が「古屋敷」になってます。
常光寺の入り口には、幹にぐりぐりのできた杉の大木が立っていました。
樹齢はおそらく百年単位ですね。
九戸戦後、諸城破却令によって日戸館は壊されます。日戸内膳は野辺地(現青森)に配置替えになりますが、この野辺地は海運の要所でした。遠くへ飛ばされたのではなく、重要な任地を与えられたのでしょう。
みちのくには所々で見られますが、この日戸周辺も400年前のほうが今よりはるかに栄えていました。
まず豊臣秀吉が陸奥を破壊し、次いで徳川時代の愚民化政策により、地方文化が衰退しました。

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